道草しちゃった

まずはフリーダムよ
 ニュー・ヨークにまた道草しちゃっいました。米国と言えば,まずはフリーダムよ。というわけで,ただ(フリー)同然でフェリーに乗って自由の女神を観る方法をお教えします。バッテリーパークからスタテン島行きのフェリーに乗って往復する方法である。上陸はしないので残念ながら米国の女神に触ったことはないが,25セントで済んでしまう。とは言っても,パリのそれにも触ったことはありません。
 オペラや芝居にでてくる女神はたいてい小柄という思い込みのせいか,そのたくましさに驚いたことがあるが,さも,ありなん,アルザス生まれの彫刻家フレデリック・バルトルデイは自分の母をモデルに専制の束縛を踏みつける婦人を描いたそうだ。これ,ラテン女性(の文化)に詳しい友人の話です。その話を思い出して,梨の木は無かったが思わず冠を正し?,両手を合わせて拝んでしまった。「フリーダム,万歳」と叫んでいた。いわゆる進歩的文化人みたいで後味が悪かった。
 きもちのいいこともある。今日も観光客が後を絶たないニューヨークのロックフェラー・プラザ。6年前にここを訪ねた時に,日本のT大に図書館を寄付したロックフェラー氏は建物に自分の名前を刻むことを許さなかったと聞いて,感動したことを憶えている。ここなんだな,成功者の賛沢とは。但し,御自分の名前を付けて冠スポンサーになっていることを批判するつもりは,さらさらない。崇高な行為であることに間違いなく,敬意を表します。
 それに,ニューヨークといえば,美術館だ,クラシックだ,ミュージカルだ,…。「キャッツ」,「クレージー・フォー・ユー」,「レ・ミゼラブル」。すみません,贅沢で。

スタテン島行きフェリー

贅 沢
 ニューヨークからバファローに飛びました。荷物も自分と一緒に機内へ,プロペラの音が生々しい,小型機でした。ここナイアガラのご説明は要らないですよね。たばこの煙もないし。

地方の空港を飛ぶ小型機
ナイアガラの滝
ナイアガラの滝
ナイアガラの滝に向かう遊覧船

たばこの煙
 バファローからニューオーリンズに南下しました。ジャズクラブのプリザーベーション・ホールに寄るためです。喫煙者が多いのが気になる.私はそれが嫌いで,華やかな夜の遊びをやめました。ゴルフもどうしようか迷っています。煙が襲ってきても同伴者のスイング中は逃げることができません。そしてその臭いに嘔吐を覚えるのです。しかし,ジャズフアン垂涎のジャズクラブであるプリザーベーション・ホール(1961年にフレンチ・クオーターにオープンしたジャズの殿堂)のメンバーを迎えての会議のバンケットで,タバコを探しまわりました。食前酒などの飲み物は自分で買う仕組みだったので,メキシコで憶えたテキーラを求めてコーナーのバーに行ったところ,さすが,米国最古の市場フレンチ・マーケットの隣カフェ・ドゥ・モンドで有名なニューオーリンズだけあって,のっけからコーヒーを求める人もいた。このコーヒー,帰国後,私の馳走にあずかった読者も十数人いらっしゃるのだが,…時間が無い,話を続けよう。フランスから会議に出席したこの御仁,どういう飲み方か知らないが,わざわざ今どき珍しい角砂糖を持ってきて,それに火をつけようとしていた。うまくいかない。まかせなさい。角砂糖にマッチの炎を近づけると,溶解するだけで火はつかないのです。角にちょっとタバコの灰をつけてやると,よく燃え出すのです,ハイ,灰。灰と炭のことは,師匠のもとで住み込みで炭焼きを修業した私めにおまかせ下さい…と。
 この話,ここで終わらない。フランスの材料学の学者殿の口から出た変なアクセントの「Binchotan」にはびっくりした。鰻を焼くには白炭の最高峰・備長炭だというのだ。確かに白炭は着火点が高いが,火持ちが良いので鰻やステーキの脂が滴り落ちてもおこっている。うーん,お主,鰻の稚魚の輸出国だけあってやるのう。専門,それもごく狭い専門と称する世界以外には全く無知で,そして驚くことに,その無知をはじぬ無邪気な人が多くなった今,外?の人々と話すのは実に痛快で楽しい。かわりに教えてやった。ハイ・モジュラスの白炭の対局にある茶の湯で重宝される黒炭のことを。

材料学と土木工学
 灰の話から連想したのか,フランス学者殿,パリのカタコンベについて話し始めた。食事中に骸骨の話は敬遠したかったが,次に私も見学したことのあるウィーンのシュテフアン寺院の地下にあるカタコンベのことに話がおよんだ。なんのことはない,古い骨を整理するために洞窟に放りこんだにすぎないものだ。土木系研究者としては専門的見地から何か言わなくてはいけない。う~ん,ウィーンもパリの地質と同じように骨の保存が長い石灰岩の地質なのだろうか。関東ロームなら骨は溶けてしまいますよね。…。これこれ,あまり深く聞きなさるな,私は忙しいのだ。

モーツァルトは今も忙しい
 米国から一気にヨーロッパに飛び,オーストリアのウィーンに場面が変わる。モーツァルト・フアンは依然多いらしい。モーツァルト没後200年を数年過ぎても,なお,モーツァルト・グッズがウィーンの街のあちこちで目につく。平仮名で「おみやげ」等と書いてあるところを見ると,日本人親光客もいいお客さんなのだろう。もっとも,モーツァルトの時代の特徴の1つは,芝居とオペラが王侯貴族の楽しみから大衆化したことであるから,その主旨に沿った商売の仕方かもしれない。

小さなコンサートの宣伝

日本人観光客が少ない
 誇り高きオーストリア人わが友・エルマ一博士の自宅は,シェープルン宮殿から車で10分位のウィーン郊外にある。このあたりのホイリゲはワイン・マニアを除いて一般の親光客にはあまり知られていないが,由緒あるワイナリーが多く,地元のウィーンの人達がわいわいやる所だ。これ秘密ですよ,秘密。本当に秘密ですよ。くどいようですが,秘密ですよ。久しぶりに家族同士で会おうということで,彼の車で自宅に向かう途中,ハブスブルグ家の夏の離宮シェープルン宮殿の前を通る。懐かしい。マリア・テレジア・イエローの外観はウィーンのやわらかな秋の日差しに映えるのだが,夏でも今日のように雨の風景にも情緒を感じさせる。その前のオットー・ワーグナー設計の例の美しい鉄道駅とともに,観る者を飽きさせない。皇帝は馬が好きで,鉄道には2度と乗らなかったこと等,ウィーンっ子でなければなかなか知らない話を聞かせてもらう。土木建築技術者必見の旧カールスプラッツ駅舎,あるいは郵便貯金局やトンネル等に見られる「世紀末芸術」アール・ヌーボー風のやわらかな曲線は,実は私も大のフアンなんです。

ウィーンの友人エルマーの自宅近くの教会前で

近頃私は大のミュージカル・ファン
 dbxのアンプとオリベッティのコンピュータを駆使した音響効果や次から次と変わる舞台の仕掛けがすごい。最後はカーテンコールが7回続いた後,オーケストラ・ボックスの音楽のサービスがあり,いっせいに柏手で終わり。これがウィーン流です。
 娘たちと一緒に,ニューヨークで「キャッツ」「クレージー・フォ・ユー」「レ・ミゼラーブル」と観て聴いて,今日はウィーン劇場で「エリザペート」。実は1991年9月21日夜,ウィーン劇場のボックス席でミュージカル「FREUDIANA」を観た。ナチスや,ロンドンのベーカー・ストリートの行先表示板を付けた地下鉄や,シャーロック・ホームズが出てくる等,フロイトの著書「夢判断」がモチーフとなっている作品だ。ご存知のように,精神分析学の創始者フロイトはナチスに追われてロンドンに行くまでウィーンで活躍し,ここにはフロイト博物館があるのだ。その時の成熟した大人の街・ウィーンのミュージカルに,身動きできないほどの強烈なショックを受けた。そして,今回の「エリザベート」もやはりウィーン仕上げだ。若い国米国風のアレンジと違って,この色気,エレガンス,そして展開はやはり「世紀末芸術」の拠点ならではの,近世の世界史の主人公であり続けた街ならではのエネルギーだ。Maya Hakvoort扮する「エリザベート」が額縁の中に出てくるシーンがある。その美しさ,割れんばかりの柏手,…もう,だめだ,手がふるえて書き続けられないのである。
 音響担当のあこがれのAlois Horakとミキサー室で話ができ,ちょっと音をいじり,おまけに彼のオートグラフ(サイン)ももらった。興奮のあまり,娘もウィーンの銀座・ケルントナー通りで買ったスカーフを忘れてきてしまった。

伝統と文化
 こんなお話をご存知ですか?ある成り金の国の紳士がイタリアのF市でバッグを注文して待つこと3カ月。やっと届いたが,重い,重い。早速,職人に「荷物を入れて持ち運ぶのが大変じゃないか」とクレームをつけたところ,「私どもは御自分でバケッジをお持ちになる方のためにお作りいたしません」というつれない返事。このような応対は,ヨーロッパの文化環境の中から生まれたものなんですね。日本にも輸入されているらしいが,ミース・フアン・デル・ローエのミスター・ダイニングという椅子をご存知ですね?脚のパイプの部分が弓なりに前にせり出しているあれですよ。でも,この椅子は使いづらくて横におりようとするとつまずいてしまう。これも,食事の際,ボーイや執事が椅子を後ろに引いてくれるという,同じようなヨ一ロッパの文化環境の中から生まれたものなんですね。

米欧文化?
 ここは米国のニューオーリンズ。ヨーロッパからここに戻ったわけではありません。話の流れで,というか,気まぐれで,すみません,話をさせてください。
 ジャズの総本山プリザーベーション・ホールやフレンチ・クオーターとは違った顔が展開されているリバー・ウォーク・モールである。電子レンジの出始めの頃,電子レンジ・クッキング・スクールに通って以来だから17年ぶりであろうか,私は何故か,ここのショッピングセンターの二階で「Cookin’ Cajun」の生徒になっている。一人15ドルでケイジャン料理を勉強し,楽しめるクッキング・スクールで,終了証書も後で送ってくれる。18世紀にフランス人が植民地化し,次にスペイン領,またフランス領と複雑な歴史をもつ地域だが,それ故に街並みは言うにおよばず,香辛料をふんだんに使ったケイジャン料理や新鮮な魚貝類を使ったクレオール(私にはクリウォールと聞こえる)料理等の食の文化が楽しめる。米欧ミックス文化だ。クレオール・ソースの作り方がどんどん進むが,途中,南部英語について行けなくなる。そう言う時は大先生殿目ざとく「Don’t worry,…」と励ましてくれる。サンキュー,大先生,この態度を学ばなくては。
 まぁ,若い人たちには,「心配するな,未来の可能性が多いから君達は不安も多いのだ。我々のような年齢になって安定しているとしたら,それは未来の可能性がどんどん少なくなっている証拠さ」と言っているのと同じことか?
 さて,十種類以上の香辛料をミックスしたソースの昧の方は?授業の時に配られたレシピがあります,先着十名に差し上げます,御連絡下さい。

Cookin’Cajunとは?
Cookin’Cajunの料理教室の先生
Cookin’Cajunの料理教室受講中

文化よりもメイド・イン…

 日本への帰国便の乗り継ぎの関係で米国のサンフランシスコ国際空港でブラブラしていた。西海岸だけあって日本人が多く,メイド・イン…の品物を求めて,買いまくっている。なるほど,とてつもなく粗悪な物をつかませられることはなく,対価格は別として,そこそこの物が買える,裏返すと,物の価値判断,審美眼なんて無くても,…というほど大層なことでもないが,とにかくマニュアル片手になんとかやっていけるわけだ。
 審美眼といえば,良きにつけ悪しきにつけ,やはり英国が登場する。「メイド・イン…」の起源は,それが優れているから国名を付けたのではなく,当時のD国製品は英国の考案を利用したものだとか,英国製品の模倣品といったことを明らかにするため,むしろ,非難の意味を込めて使った言葉だそうだ。自国のオリジナリティのある?製品を守る保護主義のかわりに,外国製品に生産国を付記することを義務付けたわけだ。ある意味ではフェアというか,自信があるというか,したたかというか,底意地が…というか,一言で言えば,やはり英国的だ。
ところが,ブランド名が英国のダンヒルだろうが何だろうが,作っているのはイタリアで,Made in Italyを裏側にきちんと付けているイタリアはさらにしたたかと言うか,そのスマートさは大変なものだ。結局,どっちが大人なんだろう。

大人のユーモア精神
 例によって米国のちょっとしたホテルでは朝食で卵を頼むといちいち焼き方を聞いてくる。私は静かな朝が好きで,焼き方がどうのこうのと愛想よく対応するのが面倒だ。何でも良いのだが,期するところがあって「サニー・サイド・ダウン」と注文した。外国人の間違い英語と気をきかしたのか,ややあってサニー・サイド・アップが出された。実は,1980年に核密度計と表層材料のリサイクリングの技術調査に友人丁氏と米国のアイオワを訪ねた時の話である。例によって,朝まで日本語で眠っていたせいか英語が全くだめで,朝食の時にポーとしていて,「サニー・サイド・ダウン」と間違って注文をしたところ,このウェイトレスが,ウィンクしながら目玉焼の目玉を下にして持ってきた。「up」を「down」と言ったのだから,目玉焼きを表裏反対にさらに盛りつけたわけだ。このユーモア精神,ダイナミックな可塑性を持った心意気というか,学びたい。
 ところでサニー・サイドとは陽の当たる窓際の方ですよね。どうして窓際族とかいってがっかりしたり,気の毒がったりするのでしょう。「窓際おめでとう」と,どうして言わないのでしょう。陽はあたるし,好きなことはできるし,人と煩わしい余計な関係を持たなくて良いし,そこそこの給料はもらえるし,いいと思うんだけどなぁ。因みに,the sunny sideは米国のビジネス界では出世コースのことをいいますね。

結婚おめでとう
 世界貿易センターの2階にあるTKTSの支店でミュージカル,レ・ミゼラブルの半額当日券を買おうと並んでいた。テロ対策のため厳重な警戒体制ではあるが,全ての業務を従来通りにすすめるのは,さすが米国というか,米国のプライドだ。売出しの11時までの待ち時間が長いためか,後ろの夫婦らしき男女がメリハリのきいた英語で「盗みをしたジャン・バルジャンは極楽に行ったか,地獄に行ったか?」と話しかけてきた。「どっちか分からない」と言ったつもりが,「どちらにも行けない」と,とられたらしい。その答えでカトリック教徒にされてしまった。仏教には極楽と地獄があってその中間の煉獄(れんごく)はないが,カトリックには煉獄があるという。仏教に煉獄があるかどうかはさだかではないが,「浮かばれない」のはその空間はともかくも精神性はあると思うのだが…。ちょっと,ニュアンスが違うかもしれないが。
 確かに天国にも地獄にも行けないワーグナーの「さまよえるオランダ人」は煉獄だ。「ワグネリアン」とまではいわないが,人間の知性の制御できる範囲を越えるような「ワーグナーの毒」にはまったことがある。知性が足りなかっただけの話かもしれないが。ショーペンハウアーの「ヤマアラシのジレンマ」に象徴されるような孤独感,孤独な人間の魂の彷捜(ほうこう),「往生しきれない」人間の苦しさ。女性(ゼンタ)の愛によって魂の解放がなされるという発想は,東洋にも通ずるものであり,圧倒的な音のエネルギーとともにリヒャルト・ワーグナーに共通する美学だ。
そうそう,4年前にウィーンのオペラ座でHorst Stein指揮のこのオペラを観た時のことだが,日本人の観客が多くなったのだろう,ここで求めたプログラムの94ページと95ページに全3幕のあらすじが日本語で書いてあった。もっとも2年前の10月にバルセロナのリセウ劇場(リセウ大劇場Gran Teatro del Liceuとも呼ばれている)でJoaquim Garrigosa指揮のこのオペラを観た時は,スペイン語のプログラムの最後にセピア色の紙4枚に,フランス語と英語で書いたあらすじが付いていたが,さすがに日本語のそれは無かった。このリセウ劇場,日本ではあまり知られていないが,どうしてどうして大変な代物だ。学割もききます。「御訪ねあれ」と言いたいところだが,私等が楽しんだ後に火事にあったという。もう,再建は終わったのだろうか?
 繰り返しになるが,高校時代からバロックに凝っていた私が「ワーグナーの毒」にやられたのは,会社勤めをしながら学士入学をしたC大の法学のスクーリングに通っていた頃だ。静かな田舎とは大違いの東京の騒音にやられて会話の声が大きくなったせいか,大音量のオーケストレーションにも驚かなくなってしまったらしい。
 話を元に戻そう。この煉獄に詳しい夫婦,ニュルンベルグに住むドイツ人だった,道理で…。ついでに,現在,日本で祝い事の日には極力避ける「仏滅」というのは室町時代に入ってきた中国の迷信の1つで,仏教徒は何の関係もないそうだ。楽しい時間をくれたこの夫婦,夫がN大学で哲学を教えているそうだ,道理で…。仏滅に結婚して披露宴の費用を安くあげるのは良いが,くれぐれも煉獄に行くことのないようにお願いします。はなはだ簡単ですが,私の道草は今日はここまでにいたします。本日はまことにありがとうございました。

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