続々再び・フェスティバルのことなど

激動する東欧
 ポーランドのワルシャワで開催されたThe Third Brittle Matrix Compositesの論文発表を終わり,Conference Dinnerに参加したが,激動する東欧にあっては社会体制や経済システムに関する議論が白熱する。この会議で論文を受理されながら欠席せざるを得なかった研究者の多くは東側あるいは社会主義国の人々が多い。経済的理由と言う。何とも…。
 我々の学生時代は俗に言う全共闘時代で,私のような天邪鬼はともかくとして,純粋な仲間の数人は社会主義にのめり込んでいった。その社会主義が吹き飛んでしまい,社会主義国の政治的変革や経済的困窮が白日の下にさらされるや否や「社会主義」に「民主」を付けた「民主社会主義」とやらを標榜し始めた人々や政党の変り身の速さに,あるいは読者や視聴者の感じ易い波長と共振させる技術に長けすぎた一部のマス・メディアに唖然とする世代である。経済改革が遅々として進まない社会主義国に対して,「我々の側の資本主義が勝った」などと素直に言えない世代,「勝利した結果がこの程度か」と斜に構えてしまう世代なのである。

メィン・ディッシュ
 ヨーロッパの穀倉地帯とあってポーランドの食卓は豊かだ。私が凝ってしまったのは牛の生に香辛料と生卵を混ぜたタタールだ。現在のように冷凍技術が発達していない頃のヨーロッパでは,主食の獣肉にスパイスが必需品であり,したがってスパイスの食文化が発展したと言われるが,このタタールはその生き残りだろうか。キノコが豊富でうまいし,焼いた肉にウォッカをかけて火をつけるシャシウイックもおすすめだ。
 ところで,ロシアで生まれた生命の水・ウォッカを単にアルコール度数の高い酒,無味無臭だと思っていらっしゃる方,私もワルシャワで飲むまではそう思っていたのだが,どうしてどうして大変な代物だ。原料は穀物が大半だが,フランスのスメタナがグレープ・ウォッカだとは知らなかったし,ポーランドやロシアで造られているズブロッカは原料の野草の名前を付けたものだそうだ。ビンの中にこの草が1本人れてあり,なかなか粋ですよ。女性の方も恐がらずにブラディ・メアリィやモスコ・ミュールといったウォッカベースのカクテルをお試しあれ。
 ウォッカを飲っていると,昨年12月にキューバで味を覚えたラム酒・ハバナクラブと共通したキレの良さを感じる。おかしな表現だが,日本酒が逆にバタくさいのだ。ウォッカの最高級の一つであるポロネーズがあと1本残っていますよ。

ポロネーズといえばお待ちかねショパン
 音楽が道楽のせいか,大上段に振りかぶって書くのは何となく衒学的で気恥ずかしい。そこで,社会基盤整備?について一言。「えっ」と驚かずに聞いてください。ショパンの恋人ジョルジュ・サンドは大変に合理的な人だったように思う。当時のパリは道路整備が不十分な泥んこ道のため,女性達は優雅な服装で身を飾ったはいいが…。もし,皆さんが腕をふるわれてりっぱな舗装道路ができていたなら,ジョルジュは優雅な服装に批判的でなかったろうし,彼女自身,歩きやすい男装にしかなかったのではないだろうか,という話。舗装にたずさわる皆様が音楽の歴史を変えるのです。

ショパン号
 ワルシャワのオルビスでウィーンまでの寝台列車を申込んだ時の話。オルビスはプラハのチェドックと同じ様にチケット,ホテル,観光等を一手に引き受ける国営旅行社だ。日時と前もって調べてあるショパン号の発車時間を紙切れに書いて「ショパン」と言ったが,担当のおばさんは無言。「お国の英雄だぞ」と思いながら日本語で「しょぱん号」と「号」を強調して申し込むと,何故か頷いてどこかに電話をしている。「寝台車は無く,2等のクシェッ卜しか無い」と言う。この国の列車の事情には未だ慣れていないので,とにかく席を確保することが先決だ。親指と人差し指をくっつけてマルを描く和製OKサインを出して(いけないっ,このサインは東欧ではとても上品なこと?を指すと友人に教えられていたっけ…,が,もう遅い),クシェットでも構わない旨を伝えようとした。ところが,このおばさんは顔をしかめるどころか,「オーケー」と言って私にウィンクした。「いかに私がナニのサインを出したといってもおばさんは嫌だ。助けてくれ」と言いたいが,周りには誰もいない。でも,このおばさん,テキパキと仕事を片付けているところをみると,和製OKサインの日本語の意味がわかったのだろうか?さっきの「しょぱん号」の「号」といい,もしや,日本通なのだろうか?考えすぎだよ。
 話を続けよう。このおばさん,紙に数字を書いて部屋の角にある両替所をアゴで示す。「ずいぶん,親切だな,でも俺はポーランド・ズオティもドルも円も持っているから両替は不必要だ」と思いながらズオティを出すと睨らまれる。「変だな,ドルかな」と,ドルを出すとそれを取り上げて,また,部屋の角の両替所をアゴで示す。「だからズオティは持っているんだ」と日本語で言ったところ,横を向いてしまった。しょうがないのでさっきもらった数字を書いた紙をひらひらさせながら両替所に行ったところ,「ドルを出せ」と言っているようだ。いいかげん疲れてきたので素直にドルを出すと,必要な分(なんだろう)だけ抜き取ってズオティをくれた。要するに,この国では汽車の切符の代金分だけ他国のお金で両替をしなくてはならないようだ。わかりましたか。

わかりますか
 プラハやワルシャワで気がつくことの一つに駅の構内や露天で本を売っている店?が多いことだ。日本と違って情報の伝達手段が少ないせいであろうか。日本の様な薬づけの真っ白い酸性紙と違って,ちょっとくすんだ色の紙は懐かしい木の香りがし,父親の古くなった本を思いだす。
 ワルシャワで懐かしい本を見た。出版部数1億冊,うち英国で6,000部。何の本かおわかりになりますか?ビアトリクス・ポター著の「ピーター・ラビット」です。日英同盟の結ばれた1902年の初版以来,本年,ポーランドで丁度20ヵ国目の発売だそうだ。すごいですね。

すごくいい所
 日本の浮世絵のコレクションで有名なポーランドの古都・クラコフにあるチャルトリスキ美術館に急ぐ。レオナルド・ド・ダビンチの「白テンを抱く貴婦人」を1枚だけ飾ってある部屋の専従の案内人を観る?ためだ。チケット売場のおばさんが横を指すが,35cmはあろうかというジャイアント・スリッパがあるだけで入口ではない。どうも「スリッパを履け」と言っているらしいが,脱いだ靴の置き場は無いので持って歩くのだろうか。とにかく美女を見たい。大急ぎでスリッパを履き,脱いだ靴を持って階段を上がったが,このジャイアント・スリッパはすぐ脱げてしまって階段の下に落ちてしまう。悪戦苦闘して,やっとのことで「白テンを抱く貴婦人」の部屋にたどり着いたところ,いきなり美女からウィンクされ,手を握られる。プラハ以来の女性の手の…いや,あせっちゃいけない,そんなことはどうでも…よくはないな…とにかく,柔らかな黒テンのような感触だ。黒テンのような手の感触を楽しみながら?「白テンを抱く貴婦人」を鑑賞できました,このポーランドの誇るチャルトリスキ美術館で。
 まるで竜宮城の浦島太郎のような気分ですっかり満足して出てきたところ,どこから見てもキューバのカストロ首相にそっくりのおじさんに出会う。美術館のガードマンだと思ってパチリと記念撮影をしたが,実は通りかかった警察官だった。親切な人で,こんなこと敢えてくれました。997,998,999,この番号の意味が分りますか?解答はそれぞれ警察,消防,救急の電話番号です。
 「ところで,さっきの話の真相は?」「さっきの話って?」「美女が手を握ったという竜宮城の話さ?」「本当だよ」「そうかな…?」「靴の上にスリッパを着けるのを知らずに靴を脱いで持っていたので美女が持ってあげようということで,俺の手を握ったのさ」「なあんだ,ところでプラハのことって何だ」「何もないよ。勘弁してくれよ」「最高級のウオツカ・ポロネーズ1本いただきだぜ」。口は災いのもとですね。

クラコフのチャルトリスキ美術館のスリッパの着用
お世話になった『白テンを抱く貴婦人』専従の監視員

竜宮城
 現在,王宮博物館として公開されているクラコフのヴァヴェル城の城門に向かう途中,30メートル程左側に小さな小屋があり,おばさんがチケットを片手に呼び込みをしていた。元社会主義の国なのに随分,サービスがいいなと感心しながらチケットを買って城門に向かおうとすると,おばさんに腕をぐっとつかまれ,反対側につれて行かれる。初めのうちは「私のような顔がポーランドではもてるのかな?」と多少,余裕があったが,暗くて狭い階段の方にぐいぐいと引っ張られて慌ててしまい,「おばさん,いや,失礼,元うら若き美女殿…勘弁してくれよ」と,すっかり焦ってしまう。何のことはない,求めたチケットはヴァヴェル城への入館のそれではなく,横にある竜の洞窟に下りるためのチケットだったのだ。竜の洞窟といっても竜宮城の様な話ではなく,美しい娘を食べてしまう伝説上の竜が住むという洞窟なのだ。子供の頃,肝試しをしたような暗いガタガタ道だ。おばさんが,じゃない,竜が出てこないかと恐れて,何度も何度も振り向いた。おー,怖い。ノドがからからだ。

竜の像

ビールでノドをいやしたい
 「ピルスナー・ウルケル」「プルゼンスキ・プラズドロイ」と呼ばれるピルゼン・ビールの発祥の地・ピルゼン(プルゼニ)についにやって来た。プラハからプルゼニ・ゴットワルド駅まで急行で約1時間50分だ。駅で求めた地図を見ながら旧市街地の中心・共和国広場に向かう。広場にそびえ立つ聖バーソロミュー教会のチェコスロヴァキアで一番高い尖塔が目標だ。途中,SBOVANホテル前のスメタナ像を発見し,にこり、そしてパチリ。しかし,ここで迷った。建物に貼ってある通りの名前は「AMERICKA」と書いてあるのに,日本から持って行った観光案内書には「AMERICKA」が載っていない。どうもこの通りに相当するのは「MOSKEVSKA」なのだ。2度3度と近くの通りをかけめぐって「MOSKEVSKA」を探したが,どうしても見つからない。「モスクワとアメリカじゃ,随分違うな。待てよ,この辺りの解放は米軍によってされたのだから…そうか」と,駅で求めた地図をみると「AMERICKA」が載っているじゃないですか。公園にたむろしていた中学生に「MOSKEVSKA→AMERICKA」と示すとうなずく。言葉は全く通じないがどうもそうらしい。すごい発見だ。さて,聖バーソロミュー教会は14世紀から15世紀にかけて建てられたもので,ゴシックそのものだ。14世紀頃はゴシックの硬い線に優雅なカーブの線を入れるのをデタントと言ったが,その象徴か。

プルゼニ・ゴットワルド駅
聖バーソロミュー教会

もう1度ビール
共和国広場に面して民俗博物館がある。民家のように見え,決して豪華とは言えないが,階を上がるごとに展示物のすばらしさに驚嘆する。特に,私の言葉の不自由さを我慢して根気強く説明をしてくれたおばさんの文化に対する造形は大変なものだ。ありがとう,おばさん。
 共和国広場から1ブロックの所にモルトハウスを改造したビール博物館がある。例によってビール造りの道具や昔の馬車等を飾ってある。この西隣がビヤホールになっていて,さてお立ちあい。700年の伝統を誇るここのピルゼニ・ビールに説明は必要あるまい。今までのビールは何だったのだ。

ビール博物館
ビール博物館の西隣にあるビヤホール

飲み物
 飲み物の話になると紅茶が浮んでくる。私の好みはダージリンでもキーマンでもなく,実はウバ。軟水で醸造されるため「ピルスナー・ウルケル」は細かい泡が多くできるというが,紅茶は逆。フィルタにかけた水道水を沸騰させて英国の硬水に似せているが,いま1つ迫力が無い。でも,オータム・フラッシュが手に入った時は,例の琥珀色を見ながら渋く強い味を楽しむために休暇をとる努力は評価して下さい。どなたか,スリランカに出かけられる方,土産を待っていますよ。
 ところで,イレブンセズ(テイ)を飲みながらの民放ラジオで聞く15分間の人生相談は私の秘かな楽しみだ。最近,霊感や占いが流行っているが,さもありなん。マスコミが,Newsと言ったところでNewではなく,結局は昨日(過去)のことを新聞は書いている。それに対して人生相談とか運勢欄は明日以降のことを問題としているわけで,少しは夢があるわけで,この種のことは無くなるはずがない。

私に相談して下さい
 いい気分でプルゼニ・ゴットワルド駅に向かう途中,アンティックの看板があったのでぶらりと入ってみる。奥行のある大きな店だ。色々とおもしろいものがあり,冷やかしていると,何となく視線を感じる。私に話しかけたいような仕草をした上品な背の高い紳士がいる。目をあわせると,久々に聞く流暢で本格的なイントネーションの英語で「私に相談して下さい」と言う。店の御主人がその紳士に丁重に挨拶し,2人で私についてくる。おかしいぞ,ぐるになって何かを買わせようとするのだな,と警戒心をいだいていると,この紳士は「ところで,高崎市を知っているか」と言う。「達磨大師の達磨寺や観音ぐらいは知っているさ」と思いながら聞いていると日本のことに実に詳しい。疑ってすみません。何と,ここの市長STANISLAV LOUKOTA氏だったのだ。「ここは昨年8月から高崎市と姉妹都市になり,ビールの原材料のホップだけではなく,技術者の往来もある」と言う。道理で親日的なはずだ。まけてもらって,女房にガーネットのブローチとイヤリングを買ったが堀出し物だ。帰りに駅まで,数分の所だが,車で送ってもらい,若旦那の気分。最高。

おれは若旦那だ
 ポーランドのアウシュビッツ行き「プラハ・エキスプレス」をプラハ駅で待っていた時の話。ドームになっている最上階の天井の絵をじっくりと楽しんだ後,下のフロアに戻る。グラスを傾けながら人々が思い思いに往来する様子を眺めるのは旅の醍醐味でまさに至福の時間。1時間は過ごしただろうか,日本人の発音とは明らかに違う日本語で「日本のお方ですか」の声が後からかかる。いきなりなので,跳び上がるほど驚いて振り返ると,ごく普通の身なりをした中年男性がにこにこして私を見ている。背中から「日本のお方ですか」というからには前もって私を観察してはいたはずだ。まったく気がつかず,うかつだった。とっさに「Are you…チェコスロバキア人という英語が出てこず,あわてて,何故か,「communist?」と言ってしまった。要するに「Are you Chechoslovak?」と英語で言って,体勢を整えて相手の様子を見ようとしたかったのだが,あわてていたせいか「communist?」という言葉が出てしまったのだ。見知らぬ外国で政治的発言につながることは控えた方が利口であり,「communist?」はあぶない言葉だ。「まずいぞ」。ところが,私に声をかけたこの御仁は私の偶然出た言葉にすっかりあわてて,まわりを気にしはじめた。今のチェコスロヴァキアでは,少なくとも私が訪れたプラハやその周辺の町では,旧勢力は分が悪いようだ。
 すっかり気の毒になり,話し相手になってやると,日本語で,「日本人は金を持っているというが,とり小屋に住んでいる(俺は結構大きな家に住んでいるのだがなあ)。東京のラッシュ・アワーは地獄だ(俺はマイカーで職場まで15分だ)。大学を出ても俺たちの様に別荘も持てない(田舎へ行けば別荘よりいい待遇なんだがなあ)」と言いたい放題。君たちが別荘を持っているかどうか知らないが,結構,当たっていますよね。「アメリカの植民地みたいだ。アジアでは憎まれ者だ」と,どこぞの新聞みたいなことをおっしゃる。最後に,「あそこを見ろ」と構内の角を指差す。「お前はモラビアの白ワインを飲んでいるが(余計なお世話だ),彼等はホームレスだ。お前と同じ,チェコスロヴァキア人皆が嫌いな黄色いアジア人だ(言い過ぎだぜ)」と言いながら数か国の国名をあげ,彼等に自国に帰って欲しいと言う。ここでむかついてはいけない,ここで,わが日本国を批判する諧謔的な言葉を並べてはいけない,国の混乱や彼の悔しさを富の象徴・日本人(私ではない)にたたきつけているんだ,受けようじゃないの,忍耐強い日本人なんだから。こめかみに青筋をたてながら,大事な大事な白ワインをふるえる手で紙コップに注いだ。飲んだぜ,こいつは,うまそうに飲んだんだ,こいつが,こいつ。

アゥシュビッツ強制収容所
アゥシュビッツ強制収容所

忍耐強くない
 私は忍耐強くないせいか,単純な結果が得られる単純な手法や実験に興味がある。うまくいかない時は別の単純な手法を試みるのである。ところが,最近の学生諸君はある手法で実験をしてうまくいかないと,別の手法を考えないでさっさと止めてしまう。パソコンゲームで「ゲーム・オーバー(Game over)」。リセットして,何も考えないで,「再度」といった感じである。このように,何の疑問も持たず,風潮に従って割切っていく生きかたは無邪気と言うよりも,人生への要求が低いからに他ならない。これじゃ,素顔を見る目が育たない。科学する心とは問題を解くことではなく,問題を見つけることなんだがなあ。
 思い込みの恐ろしさは,そう信じたが最後,全てが思い込んだ通りに見えてくることだ。一つの手法を自家薬籠中のものとし,狭い領域に過ぎないものを専門分野と称して,…,それはそれで大事なことだが,…,やめよう。終わり。

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