プラハ・残像

まずは入国
 ポーランドのワルシャワで開催されるBrittle Matrix Compositesの会議に出席するのを機にチェコスロヴァキアのプラハに寄ってみた.初めての東欧一人旅である.
 列車VINDOBONAはチェコスロヴァキアのプラハに向けてウィーンのフランツ・ヨーゼフ駅を10時24分に発車した.例によって,アナウンスも無ければ発車ベルも無い.多少不安ではあるが,騒々しい日本の都会のホームと違っておちつきがあり,旅情をいやがうえにも高める.
 20分ほど経ってからハンサム・ボーイが「カフェ?」と御用聞きにくる.「うん?そうか,まだ,ウィーンか」,「いつもながらのサービスか,さすが,ファースト・クラス」.でも,元社会主義の国に行くんだから,車内サービスは無いだろうと思って,前もって名門ビール・ゲッサーを仕入れてあるので,「ノー・サンキューだ」.
 しばらくすると,ノックをして「パスポート」と男の人が入ってくる.2人目だ.「プリーズが無いな,ウィーン仕込みではないらしい.でも,国境を越える時間ではないし,多分,オーストリア人だろう」と思いつつパスポートを渡すと,案の定一瞥してすぐ返してくれる.「これで一安心だ,チェコスロヴァキアまでゆっくりできるぞ」と,整腸剤として常用している干し芋(乾燥芋)を食べていると,「ビサ」と腰に拳銃を下げた中年の太った男が入ってくる.3人目だ.何故か,一瞬あわてて干し芋を隠す.「ビサと言うからにはもうチェコスロヴァキアに入ったんだな,よしっ,これで終わりだろう,それにビサは前もって在日大使館で取ってある」と,思いつも拳銃が怖くて,おそるおそる「イエス」と言って渡す.1ページずつ丁寧にめくって見ているので「ヤポン,ヤポン」と言ってみるが,何も言わないでパスポートを返してよこす.
 「あ-あ,良かった」と一息ついたところ,また,「ビサ!」とおばさんが勢いよく入ってくる.4人目だ.一瞬怯んだところに「プレゼント!」と,たたみかけられる.「なに!プレゼント?……何だ,ワイロかな? まさか.そんなもの持ってないよ.いや,待てよ,そうか,高価なプレゼントのチェックだな」.しかし,勢いに押されて思わず,「ノー,いや,ナッスイング」と言ったが,おばさんはバッグの方を見て,開けろとアゴで指図する.「そうか,カメラ,ラジカセの類のチェックか.税関のおばさんだ,この人は.それにしてもどこの国の人なんだろう?」と思いつつ,大きい方の下着の入っているバッグを開けると,ちらっと見ただけで行ってしまった.それにしても,すばらしい英語の発音だった.
 こう度々来られたんじゃ,干し芋を肴にビールを飲む気にもなれない.もう,4人も来たんだよ,4人も.さぁ,何人でも来い」と腕まくりをしたとたん,20歳ぐらいに見える青年がにこにこしながら入ってくる.5人目だ.「マネー・チェンジ?」「…?」再度,愛想よく「マネー・チェンジ?」「もしかしたら,これが噂の闇両替ではないだろか?」無視して窓を見ると雨が降り始めている.この青年,我慢強く「マネー・チェンジ?」「ノー,ノー」と言ったところ,キャビンから出て行こうとする.「あっ,待て,待て」.どうやら本当の?と言うか,公認の両替屋のようで公務?でやっているようだ.今できることはやっておくのが旅行のコツ,ましてや激動のさなかにある国だ.「激動の国って,ここはチェコスロヴァキアなんだろうな,国境を本当に越えたんだろうな」と思いつつ,その辺を確認すればよいものを,苦肉の策でと言おうか,でたらめと言おうか,思いつきと言おうか「オーストリア・シリング?」という言葉が私の口から発せられた.「オーケー」.「なにっ,オーケーって何がオーケーなんだ.オーストリア・シリングと言ったんだが,ドルをオーストリア・シリングに両番するという意味にとったのか,それともオーストリア・シリングをチェコの金に替えるという意味にとったのか?」私の口から偶然「オーストリア・シリング?」と言ったくせに,自分で混乱している.
 この青年「オーストリア・シリング,オーケー」と言ってカバンからお金を出し始めた.見せてもらうと,なんとなく,チェコスロヴァキアと読める.「よしっ,1,000,いや500」.コインももらう.お金の数えかたは英国なんかと同じで,少ない金額の札から順番に足していく方法だ.10分間も遊んだ.申し訳ないので,お土産用に買った日本製タバコを2本あげる.2箱ではなく,2本ですよ,ケチですね.それでも,「メイド・イン・ジャパン」と言うと,とても喜んでくれた.有難う,ミスター・チェンジマン.
 「あ-あ,よかった」と,ぬるくなったビールを1口飲んだところ,「ビザ!」の声,6人目だ.6人目ですよ.「またか!…もう,タバコでも何でも持っていけ!」と思いつつ,パスポートを渡すと,「プラハ?」と言われたので何のことか分からないが「プラハ」と応えると,笑いながら今度はパスポートに綴じられた3枚綴りのビザ用紙のうち1枚を剥がし,その下にスタンプを押す.「本物だ」.こうして,本当に,本当に,やっとチェコスロヴァキアへの入国の手続きがすべて終了したのである.

チェコスロヴァキアの首都・プラハ
 「百塔の街」「北のローマ」「ヨーロッパの音楽学院」等とチェコスロヴァキアの首都プラハに冠せられた名前は多い.11世紀に始まるロマネスタから,13世紀から15世紀のゴシック,15世紀のルネサンスを変遷して18世紀のバロックまであらゆる様式の建物が残っており,それらが美しく調和している.郊外のエクスカーションも含めて4日間の滞在だが,じっくりと楽しもう.まずはホテルだ.

まずはホテル
 1991年版旅行案内書には,国営旅行社チェドックがホテル,ツアー,コンサートのチケット,バスや鉄道の乗車券等手広く扱っているが,お客は1カ所のオフィスですべてを満たすことはできず,目的によって市内に分散したオフィスに出かけなければならない,と書いてあった.何はともあれチェドックだ.それに慢性的なホテル不足で,夕方にプラハに着くとホテルが無く闇のプライベート・ルームに泊るはめになるという.列車の窓に雨が降り注ぎ,心細い気持ちを加速させる.
 小さな地図でホテルを紹介するチェドックのオフィスの住所を何度も確認しているうちにプラハに着いた.人の流れにそって歩いて行くと「アコモデーション」の看板が目に入る.「なにっ,アコモデーション? じゃ,チェドックのホテル案内部門がここに移ったのか,有難い,有難い」一気に不安は消しとび,矢印に沿って構内のカウンターにとび込んだ.コンピュータに向かったきれいなお壊さんが,これもまた,きれいな英語でいきなり「パスポート,名前,何日の滞在か?」と機械的に開いてくる.「うん,間違いない,ホテルだ」.喜々として答えると,それをキーボードで打ち込み,「45ドル,プリーズ」ときた.「45ドル?デポジットか?」と聞くと,3泊で45ドルだと言う.「随分安いな,変だな」と思いながらも,「駅にある事務所だ,サギではあるまい,とにかく雨露をしのげる」とあって,45ドルを支払うと,プリンタから打ち出したメモと部屋のキーを渡される.メモを見ながら,ここの駅から地下鉄に乗り,どこどこで降り,そこでトラムに乗り,どこどこで降り,どこどこアパートのどこどこという家だと言う.何回かのやりとりでやっと理解できた.このアベ(AVE)なる事務所が紹介した部屋はプライベート・ルームの一室だったのだ.ホテルを探していたのに,….もう,遅い.「ええいっ,行っちゃおう,行っちゃおう」

プライベート・ルーム
 紹介されたプライベート・ルームに結構スムーズに着いた.インターホーンを押すと小学生くらいの 男の子が出てくる.手慣れたもので,部屋に通してくれる.中に入るとくたびれたシングル・ベッドが2つと,クッションの良いダブル・ベッドが1つある.「えっ,俺以外にも誰か来るのだろうか,よせよ,シェアは嫌だ,何とかホテルを探さなくては」と焦ったが,言葉は通じないし,どうしようもない.「まあ,その時はその時だ」まず,トイレとバスの確認だ.
 びっくりした.観光案内書によると,東欧へのお土産は日常生活に欠かせないもの,つまり石鹸やラミネート・チューブ入りハミガキ粉,上質のトイレットペーパー等が喜ばれると書いてあったので,かさばるのを我慢して持ってきたのに,今では全くこちらの状況が違っているのだ.色々な種類の化粧品も含めて,日本の洗面所と同じだ.居間には大型テレビもある.ホテルではない,ここは家族が生活している部屋を貸すプライベート・ルームなのだ.面白いぞ,ホテルよりも面白いぞ,じっくりと庶民の生活が見られるプライベート・ルームは.宿は決まったし,次は食事だ.ということで,ヴアーツラフ広場へと急ぐ.

ヴァアーツラフ広場
 地下鉄のA線とC線が交差する国立博物館前で下車する.チェコスロヴァキア最大のこの博物館の宝石,化石,岩石等の鉱物標本の多さに圧倒される.ここからムーステク広場までなだらかな坂を下りていく通りがヴアーツラフ広場であり,プラハ随一の繁華街である.ボヘミア最初の王と言われ伝説の王でもあるヴアーツラフの騎馬像があり,若者がこの辺りにたむろしている.本格的な広場の文化の伝統がないわが国と違って,皆が思い思いに楽しんでいるのだ.広場というより大通りといった感じで,700mほどの通りの両側には高級ショップ,レストラン,銀行等が立ち並んでいる.
 「あった,チェドックがあった」.何のチェドックかわからないが入ってみると,カールシュタイン城とコノピシチュ城と読める美しいポスターが貼ってあったのでこれを指差すと,きれいな女性がきれいな英語で「申し込みがいっぱいで土曜日の分しか無い」と言う.クレジット・カードも使える.女性があまりにも魅力的なので,コンサートのチケットについても聞いてみたら,「ここではなく,すぐ近くにあるチェドックに行きなさい」と教えられる.「やっぱり,そうか.まあ,仕方がない,規則なんだから.この対応のスマートさ,笑顔じゃ西側と変わりが無いな」.洋の東西を問わず,美しい女性は得だ.
 チケットのチェドックに入って行くと,タバコをくわえた若い女性がドアを閉めてくれる.「ホテル並みのサービスだな」と感心していると,この女性は閉めたドアをロックしてしまう.「国民劇場(Narodni Divadlo)の今夜7時からのオペラ・RUSALKAのチケットが1枚だけ残っている」と言う.御当地ボヘミアのドヴォルジャークの作品で,初めて観るオペラだ.いいじゃない.まだ5時半なので時間は十分だ.チケットを手に入れ,地図に場所をマークしてもらって出ていこうとすると,ドアの所で外からアメリカ英語が聞こえてくる.観光客らしい女性が,「閉店時間は6時と貼紙してあるのにもう閉めている」と言っている.要するに,私にドアを閉めてくれたのではなく,早く終わってしまおうという魂胆だったのだ.

火薬塔。1475年に城壁として建造され, 17世紀から火薬庫として利用される
旧市街広場
カレル橋を渡ってプラハ城に向かう

閉店時間
 日本の商社マンが某国で口角あわをとばしてある機械について客に説明し,「この合理性に富んだ機械を導入すれば収入が倍になるし,それに」と言葉を続けようとしたところ,客はそれを遮って「それはいい,さっそく導入しよう」と目を輝かせて言ったという.言葉をさえぎられた商社マンが「8時間も働けばいいのだから」と言うと,相手はびっくりした顔をして,「ふうん,俺なら半分の4時間も働いて,今までの収入でやっていくよ」と言ったという.この種の話は社会主義国では枚挙に暇がないが,「そりゃそうだよ.結果平等主義じゃ誰もが努力しなくなるさ.努力や成績や能力に応じて分配しなくては」の考え方は西側のもの.このやり方が果たして社会主義国に定着するのだろうか?

結果オーライじゃなかった
 チケットのチェドックの女性に教えてもらった劇場に30分前に着き,入口を探したがどの扉も開いていない.うろうろと劇場の周りを2周半もしていると,裏口らしき所から作業服の人が出てきたので覗いてみると,中で大道具の人達ががたがたやっている.「そうか,遅れているのか」と納得しようとしたが,どうもおかしい.第一,入口に誰もいないのだ.焦ってきた.思いきって,マークをつけてもらった地図を見せると「ここでいい」という顔をする.「待てよ,マークをした場所そのものが違うのでは」,チケットを見せると,「ここはスメタナ劇場であって国民劇場ではない」と,たどたどしい英語で教えてくれる.
 もう,いけない,6時50分だ.タクシーにとび乗るが,ラッシュ・アワーで思うように動かない.10分経った.1kmは動いただろうか.運転手もいらいらして「地下鉄で行け」という.料金もとらない.おいつめられているだけに「人の情が身にしみる.いろんな人がいるもんだ,ありがとう」.すったもんだの末,ちょうど旧市街地と新市街地の境界にある国民劇場に着いたのは,7時30分だった.ネオ・ルネッサンス様式の金色の屋根は評判どおり美しい.すぐそばのチェコ軍団橋(旧メーデー橋)は有名なカレル橋をカメラに収めるのに最高の位置だ.
 オペラの感想?昨日,ウィーンの国立オペラ座で観た「さまよえるオランダ人」に勝るとも劣らない好演でしたよ.本当ですよ.

ブルタヴァ川にかかるチェコ軍団橋(旧メ-デ-橋)
チェコ軍団橋から見たカレル橋

カレル橋
 ブルタヴァ川にかかる13の橋の中で最も美しく,最も有名なのがカレル4世によって建造されたカレル橋であろう.橋の上は各種のパフォーマンス,みやげ物屋,ソ連の勲章や軍のガラクタ等を冷やかす観光客でごったがえしており,両側の計30体の聖像の影も薄い.この中央ヨーロッパで最古の石橋を渡ったブルタヴァ川の左岸,フラチャニー丘にカレル4世が建てたゴシック様式のプラハ城がそびえ立つ.中には聖ビート教会,聖イジー教会等があるが,聖イジー教会はロマネスク様式の最高傑作と言われ,コンサートが行われる所だ.ここから坂を下りて行くと有名な黄金の小路があり,フランツ・カフカが仕事場に使った黒塗りの小さな家(22番地)の前は記念撮影をする観光客でいっぱいだ.

チェコ軍団橋の上から見た国立劇場
黄金の小路

ガラクタ
 ティンスカ通りの辺りを迷ってうろうろしていた時,「チャペック」の大きな看板が突然目に入った.「なにっ,あの新聞記者の,あの作家のチャペック?」.御存知「ロボット」の造語をした人物である.興味を持って覗いてみると,古道具屋だった.もちろん,使えるものがたくさんあるが,ここまで徹底してガラタタを並べてあると,これはもうアートだぜ,おじさん.

チャペックの店
チャペックの店

アート
 旧市街広場の人出はすごい.免罪符発行の批判をしたため教皇ヨハネ23世から破門され,火あぶりの刑になったカレル大学の総長ヤン・フスの像が中央に立っており,若者が上るせいか,ぴかぴか光っている.クリスタル・グラスやボビン・レース等の高級品を売る店,スナックやピールを売る屋台など混然とし,広場の文化が満ち満ちている.旧市庁舎が建ち,同じくゴシック様式のティーン教会,ロココ様式のキンスキー宮殿が隣接して建っている等,建造物や美術の研究者にもこたえられない場所だ.
 「FESTIVAL EVROPA MOZART PRAHA」の最中であることから,プラハの各所でモーツアルト関連の行事が行われているが,現在,プラハ国立博物館の分館となっているここキンスキー宮殿でもゆかりの絵画展が行われていた.熱心に絵を見ていると,「イルボン?」…,再度「イルボン?」.もしやと思ってふりかえり,「イングリッシュ・プリーズ」と言うと,案の定,韓国人.今,韓国では東欧への旅行がブームになりつつあるという.モーツアルトについてじっくりと説明してやった.

モーツアルト
 昨日の出来事に懲りずに,チケットのチェドック,そうチケットのチェドックで手に入れた今日9月12日の出し物はスメタナ・ホール(市公会堂)で行われるウィーン・フィルのモーツアルト.アール・デコ様式で飾られたスメタナ・ホールは,隣にある火薬塔とともに共和国広場を代表する美しい建物だ.
 サンドール・ベガは座って指揮をする.まずは地元に敬意を表して,K.504「PRAHA」を遅いテンポで始め,対位法によるテーマの掛合いも遅めのテンポだ.途中,トラム(路面電車)の音が聞こえてきたように感じたのは錯覚か?
 次はルーマニアのピアニストのラドー・ルプーを迎えてのK488.大変な人気で4回の拍手攻めにあうが,アンコールは無し.インタヴアルに飲んだ40Kcs(約200円)のワインは炭酸がきつかったが,グラスは世界に冠たるボヘミアン・グラス.手にずしりとくる重量感のあるクリスタルとカット模様の美しさはさすがだ.
 最後のK543は第3楽章のメヌエット等,まさにウィーン・フィルの音で「FESTIVAL EVROPA MOZART  PRAHA」の一環として行われたコンサートにふさわしい盛り上がりを見せた.指揮者への花束が大きいのはお国柄か.

花 束
 花束を持って歩く女性が多く,この美しい街の風景とよく溶け合う.旅行者然としてカメラをかまえながらきょろきょろしていると,「マネー・チェンジ」の声があちこちでかかってくる.「これが噂の闇両替か.それにしても頼りない細々とした声が多いな」.観光案内書はドルの威力を説いているが,ドルで物を買うことはほとんどできず,両替したコルナ(Kcs)で支払うことを要求される.ソーセージ,コーラ,ハンバーグ等があふれて西側の街の風景と変わらず,繁華街を歩いている限り物不足は感じられない.ミニスカートの女性は背が高く,むしろ古都の景色にあって美しい.創業1499年,ウ・フレクの中庭で飲んだ特製・黒の生ビールの酔いも手伝って今夜は….

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