続・フェスティバルのことなど

バースにて
 輩者の住居から高速道路M4で約1時間半で行ける古都Bathは実に魅力のある町で,足繁く通う所でもある.14世紀頃に建設された石橋,Dundas Acqueductなどが近くにあることで有名であり,橋梁もしくはWater Works関係の読者諸氏の中には訪ねられた方がおられることと思う.ローマ時代の名残りであるRoman Bath(現在でもお湯が湧き出ている)とその博物館,衣裳博物館と歴史の重みを感じさせるものは枚挙に暇がない.
 Bath International Festivalは,Edinburgh International Festivalと並んで世界的に有名な音楽祭であり,バイオリンの名手ユーディ・メニューインが主催する団体があることでも有名である.音楽に興味をもつ人なら一度は訪ねてみたいフェスティバルであろう.
 30回目を迎えた昨年は1979年5月18日~6月3日にわたって行なわれ,Assembly Room,Guild hall,Abbeyなどを会場にVldo Perlemuterのピアノリサイタル,Amede Trio,William Bennettのフルート演奏等のクラシック音楽や橋を見て歩くツァ,Prior Parkへのツァなど盛りだくさんの催しが行なわれた.筆者は音楽会の他に,橋を見て歩くツァに参加したことをぜひここで強調させて欲しい.
 多くの音楽会の中で印象に残ったのは5月24日にAssembly Roomsで行なわれたAmade Trioの演奏会である.Assembly Roomsは予想通り美しい建物であったが,世界的に有名な音楽祭の会場を想定していった筆者がびっくりしたのは椅子であった.一時しのぎに並べたような感じである.がっかりしたというよりも,むしろ驚きに近く,逆に英国という国の底力を感ずるのである.
 Amade Trioはのりにのり,アンコール曲を3曲サービスしたが,会場が爆笑の渦に包まれたのは3曲目を演奏する前であった.ピアノの譜めぐりをしていたお壌さんが,3曲のアンコールはないと思ったのか,ステージにあがって(戻って)来ず,ピアニストのMalcolm Bilsonが迎えに行くというハプニングがおきた.彼女がステージに戻って来た時はヤンヤのヤジと喝采を浴び,祭りの雰囲気をおおいに盛りあげたものだ.だれかが勝手に作りあげた英国人のイメージと程遠いが,こういうヤジと喝采はしばしば経験するところであり,ヤジられた方が気のきいたジョークを返すものなら,まさに英国人なのだが.

バース・フェスティバルのリーフレットとチケット

ヤジ・ウマ
 国人はヤジとウマが好きであり,またヤジウマ好きであると思う.ただ日本人と異なるのは,個々人が好きなように好奇心を満足きせるのであって,人盛りができるといった光景は見たことがない.例外がある.かれらの威信をかけたコンコルドの場合である.コンコルド(英国と仏国が共同で開発した超音速旅客機supersonic transport,SST)が飛んでいると,ティ・タイム以外はマイペースで仕事に熱中(?)している連中でも外にとび出して探し回る.フリート街あたりの例の黒のスーツに山高帽,ステッキの紳士諸氏でも,帽子の大きいツバをひん曲げて上目づかいにコンコルドを探しまわる姿は,なんともユーモアがある.読者諸氏,一度お試し下きい.飛行機の大きい爆音がしたら,大声で「コンコルド」というやいなや,たいていの人は目とロをあけて見上げること間違いなし.
 テレビで見る国会のニュースのときでも,議会の野次は相当のもので,アイアン・ハ-ト(鉄の心)の首相といわれるマーガレット・サッチャ一女史が負けじと大声を出すニュースがしばしば報道されている.もっとも,マギーのユーモアもさすが英国人の面目躍如たるものがある.日本で人気(!)が高いと聞くサッチャ一女史(英国人が評価していることはご承知のとおりであるが,新聞などで知る日本人の政治感覚でかの女の思想に共感を覚えるとしたら,筆者には理解がむずかしいことをつけ加えたいと同時に,筆者は熱烈なるサッチャー・ファンであることを白状しなければなるまい.)が首相に就任してまもなくのことであるが,「難問山積ですね」の記者の質問に,ひたいに手をあてて(遠くを見るように)なにかを探すジェスナャをしたときは,そのユーモア精神が高く評価されたものである.日本人が身につけたいものの一つであると思うが…,もちろん筆者を含めての意味であることはいうまでもない.

せんとう
 ローマ人がこの国を占領した時に建設したというバース(bath)のローマン風呂を見るにつけ,その土木技術の高さに目を奪われると同時に,日本の風呂が恋しくなる.筆者は大学生になるまで銭湯というものを知らず,悪友に銭湯につれて行かれた時は1メートルはとびあがったと思うほど驚いたものだ.しきり1枚で男湯と女湯が別れているのはともかく,風呂に入っている間中,となりから女性の声が聴こえてくるのにはびっくりした.恐怖を感じて悪友を呼ぶべく,「オーイ」と言ったところ,となり(女湯)の方から「今,あがりまーす」の反応あり.どうやら筆者をだんなと感ちがいしたらしい.この夫婦のその夜の結末は知らないが,それ以来すっかりせんとう好きになった記憶がある.
 風呂でもう1つ.風呂の中で-切を始末する英国人は日本式の風呂を混浴と勘違いしている場合が多い.興味しんしんたる顔をしてしつこく聞いてくるので,サウナ風呂を例にとって説明したのだが,この国ではサウナ風呂を知らない人が大半らしい.仕様がないので,北欧に出かけた時にスウェーデンで得た「フィンランドのサウナ風呂」のカタログを見せて,やっと理解してもらった.

いや,どうしようもない
 フェスティバルの楽しみはこれに協賛して行なわれる各種の催し物(Fringe FestivalあるいはFringe Events)である.Cheltenham Festivalでは,英国の生んだ偉大な音楽家,グスターヴ・ホルスト(Gustav Holst Holst)のBirthplace Museumの公開,各種のクラフト,Flower Festival,自転車競争,ビールパーティ,それにSuddrey Castleの協賛によるシュクスビア劇などがあった.英国人の大半は筆者には無器用に見えるのだが,すぐれているのになると, もうどう仕様もないほど器用な連中がいる.Cheltenhamから車で15分程の所にあるGrocesterという町でクラフトマンが一堂に会して実演をするのを見る機会を得た.そのウデのほどを見ていると,これか英国人か(失礼!)と思う程,さえており,その地方独得の文化を累々と伝えていく姿には深い感動すら覚える.子供達を目ざとく見つけて,糸をつくっていく過程を説明し,実際に試みさせて,「これが子供の教育に一番いい」と英国式教育法を見せられては,ただ「ありがとう」である.これじゃ,彼らの目や耳が肥えていくのも無理はないというもの.

この世のパラダイスか
 デンマークのコペンハーゲンにあるチボリ公園は,屋外劇場,コンサートホ-ル,遊園地,バー等を含む大公園であることを御存知の方が多いであろう.言葉の不自由さも手伝って,筆者にはパントマイムが一番楽しかったのであるが,ここで2つ気付いたことがある.1つはポリスマンがいないことである.酔っ払いが大勢おり,出店等があるまさにこの世の天国とも思えるこの公園内に,ポリスマンが見えなかったことは筆者にはなぜか不思議に思えた.もう1つは各種の催し物が行なわれる会場あるいはホールが散在しているこの公園内に案内図がなかったことである.夏のシーズンは観光客が大半だと思うが,(筆者はたいして不便さを感じなかったが)やはり他の大公園と違ったものを感じた.なぜであろうか?
 それにしてもこの盛況さは日本の夜の繁華街以上のものであり,コペンハーゲンに住んでいた筆者の友人が言った「重税の苦しみ」など,旅行者には全く感じられない一幕であった.

BBC放送にでたかった
 やはり温泉と古い建物で名高い英国GloucestershireのCheltenhamで行なわれたInternational Festival of Musicへと出かける.1980年に国際キャンプ大会がこの他をスタートとして行なわれた(日本人グループも参加していた)ので,あるいは報道されたかもしれない.例によってクラシック音楽が大半であるが,オスカー・ピーターソンのジャズピアノ演奏が人気を博していた.多くのコンサートの中で筆者が感銘を受けたのはPump roomで行なわれた世界的オーボエ奏者Maurice Bourgueのリサイタルである.あのAlfred Cortotに師事したことがあるという仏国のColette Kling(Bourgue夫人)のピアノ伴奏であった.当日はBBC放送のライブ録りの日であり,会場担当者との間で数分間のやりとりがあった.筆者の子供は小さく,会場で泣き出しでもすると音声が入り,大変なことになるというわけだ.その申し出は全く当然であり,退屈したら楽章の合間にエスケープするということでドア近くの席を確保してもらった.
 予想通り(?),緊張のあまり盛んにノドのつかえをとっていたのは筆者等ではなく,わがせがれどもは静かに楽しみ,おほめをいただいて温泉の飲み水をすすめられた(親バカ).その塩からいこと,アイスクリームで口なおしをしても,まだ,とれないほどだ.それにしても,ここでも空恐しくなる程の英国人の寛容さ,ユーモア精神にふれ,テレマンの幻想曲とともに胸が熱くなる感動を覚えるのである.
 背広1つ誂えても,その金額は大金ではあるが,よく言われる英国製であり,納得のいくものである.筆者の知るロンドンにある日系デパートMに所属する仕立職人は,支配人に内緒で,「おれはイタリア系英国人だ」とウィンクをして見せたが,ここで英国人にケチをつけるつもりはない.どう仕様もないことをもう1つ.シェクスピア劇である.ストラトフォード・アポン・エイボンStratford-upon-Avon(シェクスピア生誕の地)のシュクスピア劇場はもちろんのこと,ロンドンのどこかの劇場でかならずシュクスピア劇を楽しむことのできるこの国の人々が羨ましい.筆者が今まで楽しんだ中で印象に残っているのはSudrey城の中で行なわれたもので,この城で見たメンデルスゾーンやシューマンの直筆の手紙とともに忘れられないものの1つになりそうだ.

トラドフォード・オン・エイボンのシェクスピア劇場
シェクスピアの像

Sudrey城で行なわれていたシュクスピア劇
 ここで1人の英国人(この城の関係者)に登場してもらおう.「シュクスピア劇を見ずして何の英国めぐりか」「その通り」.「城を見ずして英国がわかるか」「その通り」.「城の中を見ずして城が語れるか」「その通り」.「Sudrey城を見ずして英国の城が語れるか」「……」「そう思わないか」「その通り」.いや,どう仕様もないと言うか,いろいろと参考になる話であった.文化の威圧を感じつつ,猛スピードでわが家についた時はへとへとに疲れてしまうのである.

犬でも右側交通
 英国のドライバーは大人しいと言う.道を譲る態度にはついつい甘えて日本式運転をしてしまい,後で深く反省するのであるが,スピードに関してはいや飛ばすこと,飛ばすこと,高速道路はもちろんのこと,路肩や側帯の狭い道路でもグングンといった感じである.こちらは車の速度計はマイル表示であるが,日本と同一規格と思われる道路をとってみても,車の速度計,(Mile/hr)を(km/hr)と読んでもいい位のスピードで走る.つまり,日本の約1.6倍のスピードで走っている勘定になる.ポリスマンが甘いことや体系だった道路網のせいもあろうが,筆者には歩行者を含めたマナーの良いことがその理由のように思える.飛び出しは滅多になく,安心して運転できる.舗装率はともかくとして,道路そのものは日本の道路も見劣りはせず,むしろりっぱなように思える.
 近くのショッビング センター に買物に出かける時でも歩行者道を歩く人々のマナーは良く,家内が子供達の歩き方(走り方)を注意した時,思わず「犬でも右側を歩くのよ」といって,筆者と顔を見合せた経験がある.まさにその通りなのであるが,この国で「犬でも」は禁句である.家族の一員としてきわめて重要な位置をしめ,dog様々なのである.筆者が日本に残してきた愛犬マルはあまりにもしかりすぎたせいか,決して人をまっすぐに見ず,上目づかいに見る犬になってしまったことを深く反省し,余り物で育てたせいか,ラーメンとかスパゲッティの類を好物にしてしまったことについても深く反省している.

クツが減る
 もう1つ舗装の話.予期しない出費があった.靴である.筆者の子供達は革靴というものを履いたことがなく.いつもゴムあるいはズック靴である.こちらに来た時に伸び盛りの子供達でも革靴を履いているのをみて,遊びづらいだろうにと,同情したものだが,その謎解きができるまでに子供の靴を10足(3人分)買うハメになった.たった2ヵ月の間にである.何のことはない.住宅地のまわりは芝生とアスファルト舗装で土がないのである.靴の減り方の早いこと,ひどいのになると3週間で靴底に穴があいてしまった.日本製の靴でなかったこと(英国人の名誉のために英国製でなかったこともつけ加えよう)は幸いであるが,舗装率100%とは恐ろしいものであることをつくづく考えさせられたものである.英国人はもちろん そういうものであることを知っており,さらに舗装の有用性を知りつくしているから「当然です」の答えが返ってくる.「いい靴でなくてはだめなのです」のとなりの奥さんの言葉は印象深く,「ハキステ文化」を反省させられる.忍耐と節約が美徳とされる英国に数えられることは多いが,誇り高き日本人の足もとをゆさぶられるとは皮肉であった.