続・道草しちやつた

久しぶりです
 イランのテヘランにあるシャリフ工科大学で5月初旬に開催されたFourth lnternational Conference on Civil Engineeringの科学者委員会の委員ということで,また研究に着手して以来20年以上を経過した材料に関する論文を発表するために,トルコのイスタンプールにまず入った。第2ボスポラス橋のマスチック(舗装工法の1つ)が打ち上がった直後に家内と歩かせていただいたのが8年前だから本当に久しぶりだ。

8年ぶりのフレンドシップ
 イスタンブール初日,とにかく空港からトルコ航空のハバス・バスでアクサライまで来る。次にイスタンブールの庶民の足であるトランバイ(路面電車)に乗ろうとするが,場所がわからない。小さいとはいえ荷物を持って,ここトルコでは一見して外国人(旅行者)とわかる風貌をしているせいか,客引きが次から次としつこく「Hotel?」,「Taxi?」とくる。「日本人,ホテルはどこですか」,おっと日本語だ。何人か適当にかわしたが,太目のお兄さんが日本語で「日本式宿屋ありますよ」。何が日本式なのかわからないが,何故か「ちいちいぱっぱ,ちいぱっぱ」ととっさに応えると,「すずめのお宿ではありません,あなたの宿です」とくる。たいしたもんだ.知識といい,機転といい,日本語といい,こいつは何者だ。いくら話をずらしてもついてくるので,今度は英語で「俺はブルー・モスクにいくんだ」等々,早口でしゃべったところ,「普通.日本人は大人しいが,あなたは違う。英語ですごい,Strong,Why?」と全文英語でせまってくる。この場合,私の英語がすごく上手なのではなく一歩も引き下がらなかったと解釈して下さい。このWhyman,よく見ると「You are strongman, Why?」,「Why?」を学究的な一途さをもって連発するので,この客引きが風格さえただように感じてしまう。
 何とかパトカーから出て来た警察官に聞いてトランパイの乗り場までたどり着いたが,そこまでWhymanが来て,まだ「Why?」と聞いてくる。でも 乗る方向を教えてくれたおかげで何とかトランバイに乗ることができた。ホッとしたところ,「うまくいきましたね,ガイドしますよ」と今度は身分証明書を待った自称エール・フランスのパイロットだ。

知られすぎたガイドブック
 ブルー・モスクの真ん前にホテルをとり,少し暗くなってから手作り旅行者用ベストセラー「地球の歩き方」を持ってぶらぶら歩いていると,「日本人」,「ジャパニーズ」と声がかかる。物売りもいれば単なる挨拶を日本人にしていると思ってよい。からかわれたなどと大袈裟にとらえると旅行が楽しくない。せっかく挨拶をしてくれたのだから何かサービスをしなければならないと考え,中国語はまったく知らないが適当なマージャン用語を話すと,イントネーションで判断しているのだろうか,「チャイニーズ?」とくる。「しめた,うまくいった」と思った瞬間,「地球の歩き方を持っている.隠してもタメ。日本人だ」。なるほど。

イスタンブールのブルー・モスク
ブルー・モスク内部

なるほど
 休暇を利用してカッパドキアの奇岩を見るためにイスタンプールからカイセリに空路で移動している時の話。どういうわけか飛行機に積み込まれない荷物が二つ地面にころがっている。「遅れて乗った人もいないのに変だな」と思ってよく見たら我々の荷物ではないか。「おいおい,冗談じゃないよ,ちゃんとチェックインしたよ,頼むから積み込んでくれよ」とあせって日本語で言ったとたん,我々の名前が横内でアナウンスされる。「ちょっと来て下さい」と言われて,驚きと不安でスチュワーデスについて行くと,「おまえの荷物か?」「そうだ」で終わった。国内便の場合,セキュリティのために乗る時に自分の荷物であることを飛行機の側にいる係員に言って,荷物に白チョークで印を付けてもらうのだ。参考にして下さい。

参考になる
 カッパドキアはきのこの形をした岩,奇岩等を観光資源にしているせいか,ここの軽石や他の種類の石できのこ岩や像を作って小さな露天で売っている。たわいのない安物のきのこ岩のコピーを数百円で売っていた男に「まけろ」,「ディスカウント,ダメ」,「いや,まけろ」,「お前,何くれる?」。なるほど,うまいことを言うな,こいつ。参考になるな。何の参考かはともかく。
 感激したついでに,エフェソス博物館に展示してある性器を誇張したプリアパスの像の模造品,もっと直截な表現をしよう,「掲載自重?」を強調した石像を見て,「日本語で…と言う」と英語で教えてやったがわかったのだろうか。トルコ語で何と言うのだと英語で聞いた。英語が全く解せないこの男,以心伝心?で「アリババ」と答えたが本当だろうか?

カッパドキアの風景
カッパドキアの風景
カッパドキアの風景

以心伝心
 車間距離とは車相互の前後の距離だと思っていた。ところが,ここテヘランではトルコのイスタンブ-ル等と同じで横の車間距離も考えなくてはならない。車線は無いに等しく.日本で言う2車線に最低3台,いや4台が人ってくる。もちろん前後はスキマなく走っている。直進車優先ではなく,横からの割り込み車優先なのである。とにかくどんどん入ってくる。私はジェットコースターは苦手だが,それ以上のスリルをここテヘランでは味わうことができるのだ。慣れないうちは本当に大袈裟に聞こえるかもしれませんが,祈るような気持ちで命をかけて道路を渡るのだ。アグレッシブな運転は8年前にトルコのイスタンブールで経験してびっくりしたが,その比ではない。急激な人口増加のためにタクシーの供給が追いつかず,白タクも認められているせいか道路の混雑は表現を越えてしまう。交通量の概念でいうと数百%の効率の良い車のサバキと言えないこともないが,調査不足?で詳しいことはわからない。
 信号もなにもかもが無視され,車の洪水の中を人間が横断あるいは斜行するわけで,いつでもどこでも度胸を決めて渡ればアイコンタクトというか,共通感覚というか,以心伝心で止まってくれるわけで,「人間優先のシステム」という見方も一方ではできる。でも,冗談ですよ。

共通感覚
 古き良き時代のイギリス人はコモン・センスというものを大事にしたという。今でもたいして変わっていない気がする。共通感覚とでも言うのだろうか?昔の話で恐縮であるが,交通に関する話を二題。相当以前の米国のコネチカット州の交通規則では,自動車の走行速度を数字で示さないで,「proper and reasonable」と規定していた。これも共通感覚というものへの信頼があってのことか。
 交通渋滞の話だが,日本では駐車時間が長いほど駐車料金が割引されるが,サンフランシスコの一部では逆に,時間が短いほど割引されるところがあった。合理的というか,面白いですね。

日本の古典
 イランのシラーズで雇ったガイドの話である。シラーズから車で1時間のアケメネス朝ペルシャ帝国の首都であったペルセポリスで広大な遺跡を前にいろいろと説明する。「コレワヤマトタケルデス」変なアクセントで言われて何のことかわからない。「You don’t know?」「…?」「ジャパニーズ,ヤマトタケルデス」。指差した先は何やら強そうな武将らしきものが剣をふりかざしている。わかつた.やっと理解できた。「ダリウス大王」のことで「大和建命」になぞらえて説明しているわけだ。
 このガイド,英語の先生をリタイアした後ガイドをしていて,年の頃60才を越えている。英語を話し,ガイドの時に日本人から教えられたのだろうか,時々日本語らしき言葉を挟んで話す。この種の英語は大変むずかしい。「This…is…a…Stature …of Saadi,Shindendesu」。これを言うのに15秒はかかり.こちらが参ってしまう。英語の苦手な筆者にはこの遅さが最悪だ。しかし,アレキサンダー大王の東方遠征の時に炎上して廃墟になったが,今世紀に野外博物館として復活した2,500年の悠久の時を経過した遺跡の前ではこの速度があっているのかもしれない。

ペルセポリスの王宮殿跡
ペルセポリスの遺跡

日本の武士
 このガイドは勉強家というか,一生懸命というか,日本のこと,日本文化について質問してくる。ペルセポリスのような歴史の変遷を経た街のガイドのせいか,侍の話に興味があるみたいだ。武家礼法の基本は防御であると教えてやった。「すばやく刀を抜く右手,踏み込む右足を自由にする」「スキをつくらないためだ」。ここで時間がかかった。剣道の達人の皆様,「スキ」を英語でどう表現しますか?「油断」,「集中度を欠く」,「…」。Osiete Kudasai。「袴は左脚から先にはかなければならない。今の時代では,普通は袴ではなくズボンの左脚を先に通す」。
 仕事であるガイドそっちのけでメモをとりながら,私に英語とローマ字で書かせながら,質問はまだ続く。丁寧語は江戸時代の旗本が使ったお屋敷言葉だったところまでは説明できたが,殿と義経のことでつまずいた。日本のお笑いタレントの人気者をトノと覚えているのだ。というか日本人の誰かがそう教えたらしい。たしかにT軍団とかいう話を開いたことがあるし,頭のきれる彼が映画監督なのかお笑いタレントなのか私にはよくわからないが,とにかく昔は家臣をもつ地位あるいは身分の者を敬まってそう呼んだ?と説明したが正しいですか?Osiete Kudasai,again。
 我々が歴史に興味を抱いてここに来るということは,考えてみれば彼らもそういう訪問者と歴史を共有したいわけで至極もっともなことだと思う。源義経は通称が九朗,いみ名が義経であると,しっかりと日本文化について教えてやったつもりです。

食事こそ文化だ
 たかだか2週間の禁酒と覚悟しているせいか,暑さと乾燥の好条件が揃ってもビールに対する欲求が起きない。こちらの皆さんがそうしているので,日本では家族にも禁じているコーラを飲みながら黙々と食べている。水道水も日本のように飲むことができるし,大きい道路の両脇には蛇口を付けた水道管が設置されており,蛇口は水温の上昇を防ぐために布で覆われている。そして大事なことだが,テヘランの生水は美味しいと思う。
 日本だったら大食漢といわれる人がこの国では普通の人だ。とにかく.食べる量の多さにびっくりしながら小食の私めはペルシャ料理に挑戦している。ナイフを使うこともめったに無く,あらゆる食べ物をスプーンとフォークを器用に使って胃袋におさめている。食事で面白いと思うのは,玉ねぎをそのまま食べるか,インド料理でお馴染みの主食のナン(Naan)で包んで食べている光景だ。おっかなびっくりで挑戦したが,日本の玉ねぎとは種類が違うらしく甘くて結構うまい。玉ねぎを食べるというよりも香辛料のように味付けに使っているとのことだ。そうかと思うと,口が張り裂けるような激辛の緑色の唐辛子をバリバリ食べている。斜向かいの席に座っていた美女に見とれていて,うかつにも口に人れた私があわてて水を要求すると,美女がにっこり笑ってパリッだ。

イランの女性は幸せだ?
 道路の文化,道路と人々を理解するには庶民の足・バスを利用するのが一番だ。しかし,バスに乗る時に驚いた。言葉が通じないこともあるが,私が先に乗って次に娘が続くと,運転手や周りの入に「降りろ」と動作で示される。そして,2車両続きのバスの後の車両のドアを指差す。「どうしてかなあ,さっき乗り方を教わって切符を買うのを手伝ってくれた若者は,流暢な英語であそこに停まるバスは全て君の目的地に着く」と言っていた。このパスは私の目的地に行くはずだ。もう-度乗ろうとしたが同じ注意を受ける。二度三度 やりなおして了解。男と女は別の場所に,つまり,私は前の娘は後ろの車両に乗れというわけだ。乗ってすぐ,隣の人が「大丈夫。あなたは(モスレムではないので)大丈夫。これは女性蔑視というよりも,むしろテヘランの急激な人口増加による痴漢対策,婦女子保護のためだ」と言う。さらに,最初は女性が前の男性が後ろの車両だったのだが,男性が進行方向を向いていると女性の方を見ることになるため,入り口が逆になって今の状態に戻ったそうだ。いっせいに注がれる男性の目から女性を守るために女性の抗議で今のようになったそうだ。

連結バスバスは男女別々に乗車

イランの男が最も欲しいものは?
 空港まで送ってくれたドライバーの話。「イランの男が最も欲しいものわかりますか?」。「…」。「イランの男が欲しいものを三つあげると,イギリスのパスポート,アメリカドルのキャッシュ,日本女性の妻」。三つに限定するところが面白いが,彼の説明を聞こう。「イギリスのパスポートがあれば,世界中どこにでも行ける」。なるほど.そうだ。「強いアメリカのドルがあれば,世界中どこでも通用する」。なるほど,そうだ。ここイランでは円もマルクもポンドも通用しないし.ドルであってもトラヴェラーズ・チェックもだめだ。ところで3番目の我が日本女性のことが気になるが,「日本女性はいい,忍耐強い」そうだ。「ここでは俺が浮気をしてバレたら,妻は俺を殺す」。「法で罰せられるだろうに」と水を向けても,「いや,その前に俺を必ず殺す,イラン女のジェラシーはすごいのだ」。真顔でこう言われて私も恐くなりました。この話の頼末にご興味のある方は直接,私に御連絡下さい。

こんな連絡がありました
 博物館などで何故か使えることに気をよくして持ち歩いていた日本の学生証を娘が油断して無くしてしまった。訪ねた都市や思い当たる場所に連結して探してもらったが,だめだった。結局,帰国してから新しいのを発行してもらった翌日,九州の佐賀県から送られてきた。日本の九州ですよ。ことの次第はこうだ。九州のS大学の0先生はテヘランの国際会議でお会いした時からとてもお世話になったお方だ。その誠実なお人柄のせいか,ごいっしょさせていただいた博物館でもテヘランの女子大生に人気があり,カメラのシャッタをねだられていた。
 私は今回の国際会議の前にイスファハンとシラーズを訪ねたが,先生は会議の後でその地をお訪ねになった。そして,土木工学の技術者が必ず訪ねるイフファハンのハージュ橋を先生も見に行かれた。1650年建造のこの美しい二層の橋は,24のアーチ型の橋脚を備え,上の層は車両を止めて遊歩道として,下の層は水量調節のためのダムとして現在もその機能を継続している。 先生が興味津々,イスファハンのハージュ橋を見学されている時,たまたまそこにいた地元の警察官に呼び止められた。そして,びっくりされた先生ににっこりとしたかどうかは定かでないが,娘の学生証を渡されたのだ。初めてお会いしてから5日後,中東の地・イランで,イスファハンで,ザーヤルデルード川に架かるハージュ橋のふもとで…。なんという,なんということだ。…というよりも,えてしてこのようなことが外国旅行ではあるのです。先生,ありがとうございました。

イスファハンのハージュ橋

外国ではこんなこともあるのです
 人々の文化的生活をハード・ソフト両面から支える技術・土木工学における重要な手法というか,知恵の一つは温故知新だ。ということで,各国の遺跡,博物館を巡っているが,これが結構大変だ。
 ここトルコのエフェス(エフェソス)に残る遺跡を見学するにはホテルの関係で,車で20分くらいのセルチェクに泊まらなければならない。そこで貧乏旅行恒例の客引きさんの御登場となる。この客引きさんに,同じバスに乗ってきたリュックサックを背負ったカナダ人のアベックが早速捕まった。英語で書かれた旅行案内書を片手に何やら交渉しているが,ということは,この種の客引きさんの英語は細かいことはともかく,意味がしっかりと通じるのである。彼らと話がついたのか,「お前たちもどうだ」と視線を送られる。先客の格好を見れば,いや大変失礼ながら「それほど高くないだろう」ということで,結局,値段も開かずに同じホテルに行くことにした。客引きさんは即席のポーターに早変わりして荷物も持ってくれてホテルに着いたところで驚いた。ツインで一泊10US$,つまり,その…1,300円です。エレベータは無いが清潔な部屋にシャワー付きである。もっと驚いたことに,エフェス遺跡まで行きはベンツ,帰りはBMWの高級車による送り迎えである。見学時間3時間と十分だし,日本語のガイドブックを無償で貸してくれるのである。
 話がうますぎると思いませんか。そう,一つ,カーペット屋が待ち合わせ場所になります。二つ,「ジェントルマン,私の兄弟が革製品の店を持っている。リアル・レザーだ」,と2つの関所があります。客引きさんにはこの種の兄弟が滅法多いのだ。どうやらカーペット屋とか革製品屋の車をホテルの従選員が使って送り迎えをしているらしい。強い勧めではないが,一軒は連れていかれる。客を待っているホテルと物売り屋が結託しているらしい。
 まだ,話がうますぎると思っていませんか。何か落とし穴があると思っていらっしゃいませんか。これで全てです。何も後で請求されません,本当に,当方にとってはその物が必要であるなら買えばいいし,そうでなければことわればいいわけで,考えようによってはベンツ車に乗せてもらっての観光地への送り迎えなど,タクシー(普通60円からメータが上がる)代でホテル代が帳消しになるわけで,最高のサービスなわけだ。私は団体旅行を知らないのでこんな送迎付きの旅行はほとんど経験が無い。ホテルを探す手間が省けるし,なかなか面白いシステムだと思うのですがいかがでしょうか。

エフェス遺跡
 エフェソス遺跡のほぼ中央に位置している二階建ての壮麗な「セルシウス(ケルスス)図書館」は,紀元117年に建てられた遺跡を代表する建築である。その規模から,アレクサンドリア(エジプト),ペルガモン(トルコ)と並ぶ,古代の世界三大図書館とされている。右隣には,ミトリダテスの門がある。この他,ハドリアヌス門,大劇場跡等々,圧倒される。

エフェソス遺跡を代表するセルシウス(ケルスス)図書館
セルシウス図書館(左)とミトリダテスの門(右)