続々・より道しちゃった

モスクワで測量学の勉強
 土木工学の基本中の基本である「測量学」の重要性を改めて認識させられた。ここモスクワでは、目的地までの距離を地図のスケールで確認しながら町を歩かなければならない。地下鉄の停車駅間の距離も他の国々でインプットされた距離感とはかなりかけ離れていて、どうもしっくりこない。まるでゴルフでグリーン周りを行ったり来たりする初心者のアプローチと同じで、なかなか目的の場所に行き着くことができない。なるほど、世界第1位の国土面積を誇り、第2位の中国あるいはカナダの2倍近い面積をもつロシアの首都・モスクワである。「道」にこだわって歩きまわり、道といっしょになって空間と人々の息遣いを感じながら楽しむいつもの手法がちょっと狂ってしまう、それがモスクワである。

国土面積のみならず
 ロマノフ朝が倒れた1917年の年号を「いく人なつかしロマノフ家」と語呂合わせで暗記した無邪気な頃には思いもよらなかった歴史の大変革がこの国(連邦)に起こった。しかし、「諸民族の牢獄」と不名誉な名前を付けられた植民地帝国ロマノフ朝、そしてソ連邦、新生ロシア連邦と国の成り立ちが変わっても、世界有数の多民族国家であることには変わりがない。
 この国のイメージは「押付け」が基本にあるように報道され、一般の日本人もそう思っているような節があるが、何度訪ねても、多くの発展途上国がそうであるように、ここの人々は結構フレキシブルというか、融通性に富んでいるように思う。そして多民族国家としてのまとまりを保つ意図もあるのだろう、驚いたことにこの国では国語が決められていないそうだ。ロシア人が人口の8割を占めているために当然のことながら諸民族の意思の疎通はロシア語を使うことが多い、つまり公用語はロシア語であるが、他方で各民族独自の言語があるというわけだ。

独自性
 よく外国の知人に、「日本人と会話をすると、我々日本人は(We,Japanese)が頻繁に出てくるが、自由の国なのに個人ではなく我々という表現が多いのは何故か」と問われる。そして、「趣味や教養も異なるはずだし、個人の性格もあるはずだ」と言われても、我々日本人は困ってしまう。私のように、英語が堪能でないのでうまく表現できないだけで、結構個性的な人が多いのですがね。
 道路の分野の重要課題である「改質アスファルトの力学的性状」を英訳する場合、性状の英訳がpropertiesなのかcharacteristicsなのか考え込むことがある。英国の友人に聞いても、あっさりとどちらかを選択してしまい、その理由を聞いても私にはよく分からない。ましてや哲学的な話が展開され、「キャラクター」の話になると混乱してくる。

人格は生まれつきか
 一般に、欧州では「人格」を表す言葉に「キャラクター」が使われ、米国では「パーソナリティ」が使われるようだが、ギリシャ語が源であることは共通する。前者はギリシャ語の「描画押印に使用される道具」に由来しており、「刻み込まれたもの」を意味するそうだ。後者はその語源を古代ギリシャ劇で使われた仮面・ペルソナに由来しており、文字通り「表面的な見せかけ」、「人生において人が演じる役割」を意味するそうだ。強引に言うならば「人格は生まれつき備わっているもの」が欧州的考え方と言えよう。
 こうなってくると、欧米といっても両端に位置するような人間観の違いで、我々日本人はその対応に頭を抱えてしまう。でもわが友人はそのあたりを心得ていて、「君、大丈夫。君達日本人の本音と建前の使い分けはむしろ大変なんで、我々英国人は建前だけで生きている」というからむしろ怖い。

血 統
 確かにサラブレッドは血統だ。個人的な話で恐縮だが、馬産地のU町に生まれたこともあって、友人には「シンザン(史上2頭目、戦後初のクラシック三冠馬)」情報を随分提供してきたし、「お守りになる」とかの理由で「神聖な行為」の連続を昔は随分と頼まれたものです。その後、その行方は分からないし、したがって、現在、連続写真がどのような使われ方をしているのか私の知るところではありません。
 英国留学時代は幸運にも「ダービー200回記念」の年にあたり、記念切手を手に入れたし、英国サリー州にあるエプソム競馬場にも随分通った。また、留学先のTRRLや自宅がアスコット競馬場の近くだったこともあって、チック・タック・マン(Tic-Tac;英国のブックメーカーが競馬場でお互いに連絡しあう時に使う手話)と知り合いになるくらい通って、相当の通になったつもりだが、…。
 競馬場と言えば、英国サフォーク州の世界最大の競馬町ニューマーケットは私の故郷と人的交流をしており、私自身もこの町を訪ね、市幹部に案内をしていただいたことがある。ここは、英国クラシック三冠競走の第1戦1000ギニー、2000ギニーが行われる事で知られるが、意外と知られていないことをお教えしましょう。皆さんもロンドンに行かれた時に立ち寄られると思いますが、プライベートブランド (PB) の「マークス&スペンサー(Marks & Spencer, 略称:M&S)」はご存知ですね。「世界一小さなマークス&スペンサー」が、ここニューマーケットにあるのです。私を案内して、その後、ケンブリッジまで送ってくれた市の幹部から教わった話です。

英国ニューマーケットにある伝説の名馬、ハイペリオンの像
The National Horseracing博物館
ニューマーケットの繁華街

で、世界一大きな国の競馬は
 ここモスクワのベガバヤ(競馬)通りにあるイッパドローム(競馬場)では静かにレースが展開する。私が観戦した時は、なつかしや繋駕(けいが)で、女性騎手もいるところがロシア的だ。繋駕は一人乗りの二輪車を馬にひかせて行う競走で、激しくそして優雅なレースだ。
 問題は馬券の仕組みである。色々な賭け方があるが、急いでいるので?「エクスプレス2」というのを買ってみた。分かりますか?何のことはない、1着と2着を当てる賭け方だ。もちろん、ビギナーズ・ラックでした。
 なかなか理解できなかったのが「3×2」という賭け方である。この賭け方には苦労した。これも特別にお教えしましょう。「3×2」は2レース中の1着から3着までを当てる賭け方でした。
 外国人のせいだったのか、厩舎にも比較的簡単に入れてくれて、おいしいニンジンをご馳走になりました。

ニンジン
 近年、自然食品、自然栽培、無農薬栽培をうたい文句にする食品が市場を賑わせている。確かに日本の都市部の地価では、近くに菜園を持つことなど一般の人々には難しいであろう。
 ロシアの都市の住民は郊外に「ダーチャ」と呼ばれる別荘を持っている。別荘といっても日本人が想起するそれではなく、家庭菜園を兼ねた小屋のような質素な建物で、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、トマト、イチゴ等の野菜類や果物類を栽培している。一時、食糧危機が叫ばれ、また公務員の給料未払いまたは半額払いなどがあったが、そこはそれ、長い間の生活の知恵である「ダーチャ」が活躍したそうだ。
 貧しいから菜園で野菜などを育てるのではなく、確かにそういう一面もあろうが、彼らは土が好きなのだと思う。キノコも豊富で、他の東欧の国々と同じようにキノコ料理はこれでもかというくらいバラエティに富む。「森の民」と言われるように、森はロシア人にとって巨大なそして豊かな食糧倉庫なのだ。
 何かの本で読んだ記憶があるが、第二次大戦中に米国人捕虜にゴボウを食べさせたことが虐待とみなされて死刑になった日本軍人がいたそうだが、米国人には「根っこ」は食物ではなかったのだろうか。

人気の根っこは
 この都市が長い間経験してきた歴史と同じように多様な顔を持つサンクト・ペテルブルグであるが、その1つは「水の都・サンクト・ペテルブルグ」であろう。運河と通りの有機的なネットワークが交通インフラを提供すると同時に、美しい街並みと憩いを醸し出している。本誌の読者層である道路や材料の技術者必見の町である。
 多感な年頃でなくても、この町の持つ不思議な雰囲気の中で恋が芽生えるのは必然であろう。でも恋について講釈するほどその方面の経験が十分ではないので、ここは歴史上の人物を借りよう。サンクト・ペテルブルグの目抜き通りであるネフスキー大通りがモイカ運河と交差する角に「文学カフェ」がある。プーシキンがここから決闘に出かけた場所である。1837年に決闘で倒されるまで抒情詩、戯曲、小説等を発表し、ロシア・リアリズムの伝統を築いたプーシキンの人気は大変なものだ。何回目かのモスクワ滞在がちょうどプーシキン生誕200年祭(1999年)だったので貴重な経験をしたが、単にロシア近代文学の祖としての人気だけでなく、どこの国の英雄にも共通することだが、皇帝側の専制に抵抗して自由を歌ったために殺害された悲劇の詩人という面が人気を加速させたようだ。
 娘がお世話になったモスクワ大学の教授から教わった、とっておきの話をご紹介しよう。読者の皆様はロシアの初代大統領がTVカメラの前で踊った姿をご存知でしょうか?はなはだ失礼ですが、とても上手とはいえないその仕草でしたが、ロシア人は武骨であってもこのような人間的な面を発露する人が好きなようだ。では、プーシキンの人間的な面とは?人気の秘密の1つなんですが、「プーシキンの女好き」にあるそうです。残念ながら目にしたことはありませんが、彼の女性相関図を記した「プーシキンのドン・フアン表」なるものがあるそうです。これ、秘密ですよ。

キリスト復活聖堂とグリバエードフ運河
文学カフェ。 プーシキンがここから決闘に出かけた

下手でもよい
 モスクワ大学の学生に酒をおごられて勢いがついてしまい、ディスコに連れていかれた時の話。これまた秘密ですが、私は昔から「2人で隅っこ」が好きな方で(但し、翻訳は差し控えますが、He likes cornerではないつもり)、大勢で踊ったりするのは苦手だ。ところが、ここでは誘われた時に「下手ですから」とか、「踊れない」はマナー違反になる。下手でも大丈夫、「皆適当にやっているんだから」だそうだ。
 場所と話が一気に飛ぶが、キューバのハバナでファッションショーを見ていた時にも同じ経験をしたのだが、「皆で舞台に上がって踊るのはオブリゲーション(obligation義務)だ」と言われた記憶がある。ハバナにある世界三大キャバレーの1つであり国家公務員のキャバレー「トロピカーナ」でもそうだった。客席でみんなが一緒になって踊るのである。でも、個人的には、大勢が集まる場所はオペラハウスかコンサートホールがいいなあ。

オペラその1
 サンクト・ペテルブルグにはロシア美術館や劇場などが集まる芸術広場と名づけられたエリアがある。ここにあるムソルグスキー・オペラ・バレエ劇場(Mussorgsky Opera and Ballet Theatre)は、世界的に有名なマリインスキー劇場(Mariinsky Theatre)と肩を並べる著名な劇場である。ヴェルディの「オテロ」は、リアリズムとはこのような表現を言うのかと改めて認識させられ、そして重厚な演出だった。
 さて、オペラファンやバレエファンの垂涎の的「マリインスキー劇場」であるが、同じくヴェルディの「リゴレット」を観たが、オーセンティックで、しかし、矛盾する表現かもしれないが、アヴァンギャルドな演出の音と舞台だった。「リゴレット」はマリインスキー劇場の興奮冷めやらぬ1週間後にマドリッドのレアル劇場(Teatro Real王立劇場)でも観る機会を得た。声も音も衣装も舞台もマリインスキーのそれとは違ったのだが、これまた、スペインの銘酒「リオハ」のような太陽いっぱいの中を駆け抜ける「イベリアの風」を感じさせる鮮やかな演出だった。 日常的な人々の仕草あるいは街並みとして残るヘリテージ等を比較すると、ラテンの「華麗」・「洗練」に対して、ロシアのそれは金ピカでくどいと言われていますが、どうでしょうか?深い黄色を特徴とする秋の紅葉の中にたたずむ冬の宮殿やエカテリーナ宮殿の姿は、ペテルっ子が-度は知ってしまったアヴァンギャルドな、自由と成熟の「ヨーロッパの毒」未だ健在と微笑んでいるように感じてしまうのですが。

サンクト・ペテルブルグのムソルグスキー・オペラ・バレエ劇場。公演中。
サンクト・ペテルブルグのマリインスキー劇場。公演中。
マリインスキー劇場。公演直前

オペラその2
 サンクト・ペテルブルグのマリインスキー劇場を出したからには、伝統を誇るモスクワのボリショイ劇場を出さねばなるまい。「ボリショイ」すなわち「巨大」という意味をもつ6階建ての劇場は、響きの良さが有名であるが、秘密はM.チトフにより描かれた天井画の後ろに隠されている、特別な木でできた共鳴板であると言われるが確かめる術がない。
 そして問題の中身である。プーシキン原作の「Stone guest」をベースにしたA.ダルゴムイシスキー台本の同名のオペラは、赤を基調とした舞台衣装がとても新鮮で響きの良い音と相侯って実にメリハリの利いた舞台であったし、Humpbacked horseというバレエは、これはもう世界中に名プリマを送り出したエレガントなロシア・バレエそのものであった。書き出したら止まらなくなってしまうので、詳しくは個人的にご連絡を。
 外国人はホテルでチケットを手に入れることが多いが、無い時は劇場、最寄りの地下鉄駅アホートニイ・リヤッドのチケット売り場か、その辺りでうろうろしているダフ屋か、普通の人?から買うことになる。正規の売り場と値段も中身も変わらない。大丈夫です。ソルジェニーツィン氏やサハロフ博士を一躍有名にした地下出版、つまりソ連邦時代の検閲システムを逃れた「サミズダート(自己出版)」とかではありません。

モスクワのボリショイ劇場
ボリショイ劇場
ボリショイ劇場でボリショイ・バレェを観る

ボリショイ
 日本人が「ボリショイ」と聞けば、「ボリショイ・サーカス」をイメージする人も多いでしょう。ボリショイ・サーカスは、昔レーニン丘と呼ばれた雀ヶ丘にあるモスクワ大学の近くにあり、私が泊まった構内の学生寮の出口から歩いて15分くらいだった。但し、近くといっても、モスクワである。大学の構内自体がとてつもなく広いので、出口によっては1時間以上もかかるのでご用心を。
 義務教育である「基礎的普通教育」や国公立における高等教育も無償のこの国で、サーカス見学は有料とか。でも大人も子供も-緒になって大声で応援している。
 すり鉢状の観客席の後方に位置する生バンドの音は凄い。20数人ほどの陣容であったが、フル・オーケストラのような音量で、時にはハラハラ・ドキドキ、時にはユーモアたっぷりのサーカスの演技を盛り上げる。団休で来ていたアメリカ人はトランペットの直接音にさらされる位置だったのだろう、耳を押さえながらサーカスよりもこの演奏陣をしきりに見ていたのだが、15分もしないうちに白河夜船だった。ロシアの勝ちー。

ボリショイ・サーカス

まだまだ続く巨大
 単にディメンジョンが巨大なばかりでなく、建物の持つ雰囲気が巨大かつ威圧的な「スターリン・ゴシック」とも呼ばれるスタイルの建築物がモスクワ市内にある。モスクワ大学、スモーレンスク広場の外務省ビル、クリミヤ広場のホテル「ウクライナ」、蜂起広場の文化人アパートなど7つもあり、これらの「セブンシスターズ」を巡るツアーがあるそうだ。
 「スターリン・ゴシック」の建設は、1949年から始まったと言いますから、戦後の社会資本整備を象徴するものとも言えるし、したがって、このスターリンの置土産は、旧東側の都市で見ることができる。典型的建物の一つが、ワルシャワ中央駅の向かい側に立つ37階建ての文化科学宮殿である。ベルリンの壁崩壊の興奮冷めやらぬ1991年にポーランドを訪ね、ワルシャワのこの建物の上階に立った時は、さすがに234メートル、42階立て、尖塔の高さは49メートルの高さに足がすくんだ覚えがある。根底にある哲学、というよりは嗜好といったほうが良いのだろうか、 「社会主義と科学技術による明るい未来が天にまで達する」と考えていたのだろうか。
 天ばかりでなく土木工学の重要な柱である地下を見てみよう。モスクワの地下鉄駅のエスカレータはかなり高速だが、とにかく深くて長い。そう、降りるまでにカップルが向き合って一仕事を済ませるのに十分すぎるほど時間がかかる。もちろん、息を止めて横目で見ているのは私の方で、ご両人が息を止めているのかどうかは定かではありませんが…。

モスクワ大学
モスクワ大学構内
モスクワ大学の学生寮の一室
キエフ駅広場。正面は外務省
右側は小ニキーツカヤ通り.ゴシックの文化人アパート(スターリン様式).左側は大ニキーツカヤ通り
長い地下鉄
地下鉄キエフ駅.モザイク画はウクライナでのプーシキン

息を止める
 ロシアの観光というよりも、この美術館に収められている作品を鑑賞するためにここサンクト・ペテルブルグを訪れた方も多いことでしょう。エルミタージュ美術館(英語;Hermitage Museum)は、部屋をつなぐ全長が約27kmという。一緒に行った案内役の娘と手をつないで歩かないと、まさにエルミタージュ(隠れ家)の迷子になってしまう。
 でも「ビ・サイレント!」。若者の邪魔をしてはいけません。ここはペテルっ子達のアカデミックなデートコースなのです。

冬の宮殿とエルミタージュ美術館