新聞 科学エッセイ

道草人間
 「道草でもしながら楽しゅうやりまひょか」。N社の研究所長のこんな言葉とともに、副産物フェライトなるものが土木の私の所に持ち込まれたのが9年ほど前。何か役立てる道はないか、とのことである。よく、研究者と研究素材とは運命的な出会いがあると言われるが、私の場合には「小粒で色の黒い奴だな」と思った程度。それを私が引き受けることにしたのは「道草」という“仲人”の言葉に西洋の合理性の対局にあるような、人間の感覚や感情といった豊かさを感じたからだった。
 このフェライトは鉄鉱石から鉄をつくる過程や廃水を処理する際に生成する副産物である。つまり、残り物にすぎないものを使って新技術を開発するわけで、資源を大量に消費し使い捨てを促す近代の技術の主流とは、方向を異にするものといえる。
 副産物フェライトは、粒径が数ミクロンから数百ミクロンの微粉末状で、黒色、比重約5(石ころの2倍強)の酸化物(酸化鉄)である。また、微弱な磁場でも簡単に磁化し、磁場がなくなると元に戻るソフトフェライト系磁性体である。このような性状から、荒波に耐え、藻類の成長を促す人工魚礁やエネルギーを吸収する制振や免振の材料、磁気センサと組み合わせての面白い利用法などが可能になる。
 次回から、そのいくつかを紹介するが、フェライトは自らはしかけず、振動や波、磁場などの相手が仕掛けてきた時に初めて反応する“専守防衛”の平和な材料といえる。また、私の技術開発の手法自体も「的に矢を当てる」式の「能動的発想」ではなく、「的に矢が当たる」式の「受動的発想」、つまり、無心でものの心を見る自然流の東洋的発想法というか、とぎすまされた感性で-ということになる。ちょっとキザだが。



アワビは英国紳士Ⅰ

 『磯のアワビの片思い』とはよく言うが、よりによってフェライトなどに恋をするとは…。一体、色黒でサメ肌、しかも低重心でどっしり型のフェライトのどこがよいのか。しかし、わが研究室のアワビを観察していると、アバタもエクボとしか思えないほど、フェライトにぞっこんなのである。
 昨年8月13日の夕刊科学欄で「アワビはなぜかフェライトが好き」としてわが研究室が紹介された。現在、約600 匹のアワビを海水で飼育し、シェルタ(隠れ場所)の素材や色、形状、表面の滑らかさの影響などについて観察を行なっている。そのデ-タから言うと、アワビは英国紳士そっくりである。その趣味はなかなか渋く、好きな色は派手な黄・白よりもダ-ク調の黒・茶であり、また、テカテカ光ったものやツルツルしたテクスチャ(肌目・表面の性状)は極端に嫌いだ。この色とテクスチャの双方の要件は、シェルタとしての必要かつ十分条件である。例えば、透明なガラスを黒いシェルタの上に置いただけでアワビは趣味の悪さに閉口して寄りつかない。逆に、表面がザラザラしていても、色が白いと、厚化粧は嫌いというようにシェルタの中に入るアワビの数はぐんと減る。
 実はこれらはアワビが夜行性で、保身のため暗い所に隠れていることや、敵に襲われた場合でも、ザラザラした表面の方がはがれにくいからだろうと考えられる。何のことはない、生物本能である。こうした性状に加えて、自分より小さく軽い物には用心深くてくっつかない。たぶん、相手を動く生物(敵)として見ているためであろう。逆に、重量感や安定感のある物が好き-となれば、もうこれは“典型的な英国紳士”である。




アワビは英国紳士 Ⅱ

 アワビの“英国紳士”的面を、前回に続いて、もう少しみてみよう。
 『英国人は2人いると並ぶ』と言われるくらい列をつくるのが好きだが、アワビも引けを取らない。狭いシェルタに入っている時は礼儀正しく整然と同じ方向に向き、しかも無言(当たり前?!)。見事な縦列駐車である。学生にマナーを教える格好の教師としてたいへん助かっている。
 光が入ってくるなど環境が変化すると、アワビは軟体部(食用にする部分)をシェルタにつけたまま、貝殻の部分を左右に振ってイヤイヤをする。筆者らが学生の頃にはやったツイストにも似て、実にユ-モラスでリズミカルな動きである。驚いた時や困った時などに、両手を上げて首をすくめる例の英国紳士のジェスチャを連想してしまう。
 アワビは『犬も歩けば棒にあたる』式に、触角に触ったものをエサかどうか判断して食べると言われている。しかし、わが研究室のアワビはエサのワカメを水槽に入れた瞬間、すぐ長さ15mmほどの触角を動かし、触角の内側にある口の部分を上にして体を伸ばして落ちてくるエサを捕えようとする。どう考えても、臭覚があるとしか思えない。現在、飼育しているのは体長が約 35 mmのアワビだが、殻からなんと10mm位も軟体部を出し、触覚を手のかわりにワカメを捕えようとする。とくに狭い水槽では敏感に反応する。
 ところで、この触角に触れられると、ちょうど手についたセロテ-プをはがされる感じで、物をうまくつかめるようにできており、生物の体の素晴らしさ、不思議さを感じる。また、日没後あるいは日の出前の2~3時間に運動量が増すが、アワビもまた、他の生物と同じく体内時計を持っているようだ。



ミスマッチング

 フェライトの応用技術の1つに、制振材料としての応用がある。振動を遮断したり、吸収したりする機能である。振動の遮断と吸収のメカニズムは異なるが、一般的には、吸収する場合には柔らかくて空隙(げき)の多い材料を、遮断する場合には硬くて密な材料を使用することによって対処している。
 ところが、硬くて振動を吸収する材料、それも従来の技術では難しいとされる低周波の制振材料を求められることがある。重量のある機械を支えて、かつ、機械の振動を吸収する床をつくりたいとか、大型車の輪荷重に耐え、しかも振動を吸収できる舗装をしたいというような従来の発想法では矛盾する性質を求められる場合だ。
 フェライト粉末は砥石の材料に使われるほど硬く、また結合材料に対しては充てん材の役目をすることから剛性や強度は高められる。しかし振動吸収はどうなのか。実は、この高剛性、高減衰の材料にフェライトが理想的なものだというヒントは意外なところにあったのである。
 私のところの卒業研究は二人以上の学生の組合せで実験を行なっているが、私の指示に対する反応はもちろん、反応速度もまちまちだ。そうすると、どちらかがイライラし始めてけんかになり、熱くなる。「この組み合せ(マッチング)はミスだったかな」と心配するが、翌日はけろっとして仲よくやっている。「これだ。フェライトと結合材料をミスマッチングさせ、振動を熱エネルギ-に換えればいい」。
 熱変換はミスマッチングを起こす面が多いほど効いてくるが、ここで微粉末であるフェライトの特徴が発揮される。しかも初回に紹介したように、フェライトは重い。重い物を動かすにはたくさんのエネルギーが必要なのである。



縁切り

 おやじの威光は落ちたものの、地震や雷はまだまだ怖い。最近のソ連の地震被害をみても、目を覆うほど悲惨である。このショックを和らげる手段として、今注目されているのが免震システムである。超高層ビルの場合は、固有周期(建物が振動する周期)が3~5秒とゆっくりのため、地震がきてもビルに加わる破壊力はそれほど大きくない。木造の場合でも地震のエネルギーをある程度吸収できるが、問題は骨組を木造にできない中階層の建物である。この場合に免震システムが活躍する。
 水に浮ぶ船には地震動が伝わらないが、これは水が船と海底地盤の縁切りをし、地震のエネルギ-を吸収してしまうからだ。これと同じ発想で構造物と地盤を切り離し、その間に積層ゴム(アイソレータ)とダンパからなる免震装置を設けることによって構造物へ作用する地震力を和らげることができる。
 積層ゴムは地震力の周期と構造物の周期をずらす役目をし、ダンパは地震による振動エネルギ-を吸収し揺れを早期に減少させる役目をするが、1つで積層ゴムとダンパの両方の機能を兼ねた免震装置が望ましいことは言うまでもない。つまり、振動エネルギ-を吸収する積層ゴムがあればいい。
 そこで、フェライトの出番となる。積層ゴムのゴム部分にエネルギ-吸収性能のあるフェライト配合ゴムを使うのである。フェライトの振動エネルギ-吸収性能については、前回説明したとおりである。この高減衰アイソレータは一体型であるため、装置の取り付けスペ-スにあまり制約を受けないのが特徴で、建物ばかりでなく、搭や橋などにも用途が想定されている。
 おっと、震度6の大地震がきた。地上は危ない。自分をアイソレ-トするため、首に着けていた簡易気球がぱっと開き、数分間、宇宙遊泳をといった具合である。



第六感

 副産物フェライトの利用技術の1つに、磁気標識体と磁気センサを組み合せた磁気標識システムがある。基本的には、フェライト混合物でつくった磁気標識体を必要な場所に施設し、これを磁気センサで検知する技術である。ゴルフカ-トなどの無人搬送車や視覚障害者への情報提供など、多くの分野に利用されているが、ここでは後者について紹介したい。
 現在、視覚障害者の歩行誘導には点字ブロックで対応しているが、凹凸があるため車椅子の走行の邪魔になったり、雪の下になった場合に用をなさないなどの欠点を持つ。そこで、必要な場所にフェライトを施設し、磁気センサを取り付けた白いツエでその位置を確認する(情報を得る)磁気標識システムの登場となる。フェライトと磁気センサの間に雪があろうが、水があろうが、まったく問題にならない。よく、「公共の場に磁性体があると悪さをするんじゃないのか」と質問されるが、副産物フェライトは磁場に反応して磁化しても磁場が無くなると消えてしまうソフトフェライトと言われるものなので大丈夫である。センサ以外にはなんら関心を示さないという誠に“貞節”な材料なのである。
 このシステムを研究している時、ある盲学校に勤務する全盲のA先生に大変お世話になった。当初、磁気センサを靴に埋め込む方法も研究していたが、百分の一秒でも早く情報が欲しいという。そこで、足よりも棒の長さ分、先に行けるツエに決まった経緯がある。
 またT社では電波発信機を額に取り付けて障害物を発見するシステムを提案していたが、A先生によると、額というのは何か気配のようなものを感じるセンサの役目を果しており、額を何かで覆うのはとくに視覚障害者にとって困るということであった。いわゆる第六感の重要さ、人間の不可思議さを教えられた時期でもあった。



電波吸収体

電波吸収体はレーダー探索技術と呼応して発達し、レーダー波を吸収する「見えない戦闘機」のように忍者(ステルス)技術としての軍事的側面も持つが、市民生活に密着した土木工学的技術としても大いに活躍している。その一、二の例について紹介したい。
 従来、船舶やピル、橋などの構造物を設計する場合、力学を中心とした、いわゆるハード技術のみで対応してきたが、世の中の事情はそれではすまなくなってきた。航空機や船舶が安全航行するための管制用レーダーや気象用レーダーあるいはマイクロ波通信などの電波が、そうした構造物で反射・散乱し、干渉し合って偽像(ゴースト)をつくるなどの電波障害を起こしたり、高周波機器の漏れ電波が、他の電子機器に悪さをするケースが非常に増えてきているからだ。これに対処するには力学だけでなく、電波吸収体や磁気避へいなどの技術をも包含した、いわゆるインテリジェント構造物の設計技術が求められる。そこで登場するのが、やはりフェライト。電波吸収機能を持ち、しかもそれ自体が主要な構造材科であるところが、今後大いに期待される点だ。吸収させる方法として、透過減衰法と反射抑制法の2つの方法があるが、フェライトはいずれも、電波エネルギーをすばやく熱エネルギーに変換する。仕掛けてきた相手をカッカさせて消耗させてしまうわけだ。
 これを逆手に取った工学的応用研究(電子レンジがまさにそれなのだ)も、現在進めている。例えば、フェライトとアスファルトの混合物を舗装体のヒビワレ部分に注入し、マイクロ波で加熱して補修したり、はがれたアスファルト(再生合材)を再利用するときに、加熱促進材として使えそうだ.また、手や道具の届かない内部の方に、あらかじめフェライトを詰めておき、表面からマイクロ波で加熱すると、表面よりもフェライトの部分が先に熱くなるが、この選択加熱′(優先加熱)の技術は、将来的に大きな可能牲を秘めている。



優秀ということ

 今の時期は入学試験、定期試験、卒業論文、卒業式と、たて続けにあり、大学に勤務する者にとって、最も忙しい時だ。
 大学は「優秀な学生」を求め、官庁も企業も「優秀な人材」探しに血道を上げる。大学在学中の努力の結果よりも、入学した大学の知名度で学生の能力を判断する企業も無しとは言い難く、唖然とすることがある。こういう企業のトップにかぎって、「常に問題意識を持ち、困難な問題に立ち向かって、全社員一丸となって解決しよう」とのたまう。
 ちょっと待ってください、社長さん。あなたが採用したい「優秀な人材」とは、一言で言えば、試験上手のことですよ。問題が出てから答えれば良いのが試験であって、試験上手は問題意識を持ちませんよ。易しい問題から解くのが点数を取るコツですから、試験上手は困難な問題に立ち向かいませんよ。常に答の用意されている試験をこなしてきた試験上手は未経験の問題を解けませんよ。
 かくして、大社長殿、「近頃の若い者は言われたことしかしない。こんなこともできないのか」になり、この試験上手、「はい、習ってませんから」ということになる。
 もう1つ。1台の車に4人の学生が乗ると、1人ずつ例のウォークマンを持ち出して聴いている。「なるほど、好みがあるからな」と、はやとちりはいけない。聴いている曲は同じなのである。
 大人の側から巧みに発信された情報にのせられ、大量消費文明に侵された没個性的で均質なDCブランド世代は、規格大量生産を行なうのに何と便利なロボットであることか。
 合理性の陰で感性とか、情緒と無縁に生きてきた若者の屈託ない笑顔の裏に一抹の不安を感じてしまう。
 彼らが小学生から大学生までに暗記した知識など一枚500円のフロッピ-ディスク1枚分に軽く収ってしまう時代だからこそ、創造することの楽しさを教えることは我々の責任であろう。