再び・フェスティバルのことなど

まず,フライト
 ASTM(American Society for Testing and Materials)の“Polymer Modefied Aspbalt Binder Symposium”に出席するため,12月1日に成田を発つ。スーパーベーシックのシーズンでそんなに人が多くはないが,成田への不平が相変らず聞えてくる。これからの時代は空港や道路といったインフラストラクチャの建設にあたっては,もっと利用者,消費者に応えるという目的関数を入力する重要性をあらためて認識する。
 筆者はできるかぎり過去に利用したことの無い航空会社を試すことを目標としているが,今回の選択基準はちょっと変っている。これは数年前に英国の友人から開いた話であるが,イスラムの航空会社では機長がお祈りの時間がきたと言って,何と飛行中に操縦席から出てきて,客席の間の通路に拭毯を敷いて例のお祈りを始めるという。「おい,おい,冗談じゃないぞ」と思いつつも,実にスリリングで興味深い話ではないか。イスラム教の影が濃い湾岸危機の最中で,やめろという友人もいるが,好奇心には勝てない。ロスアンジェルスまで飛んでいる航空会社?あるじゃないですか,イスラム教を国教と憲法で定めている国・マレーシアの航空会社が。

マレー半島
 ポルトガル,オランダ,英国と埴民地支配を受けた国ながら,現在のマレーシアは産油国であることはもちろん,半導体生産量は,日本に続いて世界第3位で,エアコンに至っては世界1位という工業化促進の国家。「お祈りの話」をした英国人で思い出したが,たしかラーマン首相はケンブリッジ大学を2番で卒業,隣のシンガポールのリー・クアンユー首相は1番で卒業という英国仕込の紳士ということを開いたことがある。つい先日,建国以来25年間首相だったリー・クアンユーも退陣したが,テレビ等のマスコミの扱いが小さかったのは英国サッチャー首相の退陣と時を同じくしたためであろう。
 さて,お祈りの結末は?12時間も寝ずの番をしてきょろきょろしていたが,少なくとも,12月1日のMH92便,12月21日のMH93便については通路に紙毯を敷いてのお祈りはありませんでした。「かつがれたかな?あーあ,眠いよ」

あーあ,眠いよ
 例によって,時差調整のため,ニューオーリンズに向かう。ストリートカーに乗ってガ一デン・ディストリクト等をまわったはいいものの,前日のフライト中の寝ずの番がたたって終点まで行ってしまう。おかげさまで,19世紀半ばから後半に建てられた南部特有のプランテーション様式の美しい建物をストリートカーの両サイドからじっくり楽しむことができた。テレビに何度か放映されたテネシー・ウイリアムスの戯曲「欲望という名の電車」に登場する路線はバスにとって替わられたが,ストリートカーは由緒ある乗り物だ。買物かごをさげたお年寄りや子供連れに対する乗り降りの際の心配り,落着きのある対応や表情に,大都会とは違った米国の顔を発見する。

ニューオーリンズのストリートカー
ガーデン・ディストリクト

テレビ
 ルイジアナ州立美術館でナポレオン・ボナパルトのデス・マスクを見るという意外な発見に浮きたって,すぐ前のフレンチクォーターの中心ジャクソン広場に出たところ,テレビカメラや音とりのマイクの中に「NATTO DOG」の旗。う,うん,「なっと?」。ま,まさか,納豆?そうです,「納豆ドッグ」の旗がひらめいているではないですか。はやくも懐かしくなって近づいて行くと,「おっ,日本人だ。納豆は好きですか?」,日本手拭いでハチマキをしたインタビュアにいきなりマイクとカメラを向けられて不覚にも「はい,大好きです」。「なんか,日本語がなまってますね」「…(余計なお世話だ)」「名前は?」とたたみかけられて,「はい,???です」。いけねぇ,しまった。「何をしにここに?」「明日,サンアントニオで仕事かありまして」。もう,だめだ。「どんな仕事ですか,職業は?」「…」。まいった,まいった,時差病もふっとんでしまう。 
 ところで,ちょうど腹が空いていたのでウインナソーセージと納豆が入っているのを1個もらって食べてみたが,なかなかいける。この顛末は日本のNテレビで放映されるとのこと,うろうろしているところをつかまってどうしよう。見られたらどうしよう。でも,本当にラッキーでした,この日は「あ-あ,日曜日でよかった」。

ルイジアナ州立美術館にあるナポレオンのデスマスク
フレンチ・マーケット の入り口
第七大大統領アンドリュー・ジャクソン像

日曜日
 中学生の頃,音楽のソースが少ない頃だが,日本短波放送の音楽番組でチャーリー・パーカーのトランペットでモダンジャズにめざめ,マイルス・デイヴィスに酔い,ジョン・ルイスのMJQに凝ったが,デキシーにはいま一つのりきれなかった思い出がある。だが,さすがに本場にくるとフェスティバル気分。御存知,プリザーベーション・ホールはもとより,日曜日のせいもあって中学生くらいの子供たちがバーボン・ストリートでパフォーマンスに興じている。トランペット,トロンポーンとなかなかの音を出しており,エイティエイトのリズムは時差病の筆者に快い。
 米国で初めてジャズ録音したのが1917年という。ロシアのロマノフ王朝崩壊の年,第1次ヨーロッパ大戦に米国か参戦した年だ。戦争という魔物は後に文化を残すと言われるが,この出兵が,筆者等が学生時代にしびれたフランスのヌーベルバーグ,「死刑台のエレベータ」のマィルス・ディヴィスに代表されるシネ・ジャズにつながったのだろうか。アフロ,アメリカ,エスプリの融合体か?どうも,融合体食の納豆ドッグの後遺述症があるみたいだ。

ジャズのメッカ・プリザーベーションホール
ストリート・ミュージシャン達
このような風景は街のいたるところで見られる

融合体よりも
 親父の影響で,隠し味を忍ばせる吸い物は好きだが,具は一品に徹底している偏質狂だ。最近,とくに生そのものの切れの良い味に興味を示し,手の込んだあっちものはバタくさくてだめだ。しかし,ここニューオーリンズはカキの名所と開いてきた。生ガキがとくにいけるという。希望を持って,有名な「DESIRE」に入る。Rのつく最後の月である12月ということもあって,南部のDrawing Englishを強調して,最高級のオイスゥラー(Oyster)?を注文して食するが…。再度の「どうでしたか?」の御質問には,情報があふれているこの時代に,個人的とは言え,一店だけで批評するというのは,かなり苛酷で倣慢な作業だと思いません?と,お答えしよう。

傲 慢
 田舎の高校のせいもあって入試勉強なるものをした経験がないが,入試直前になって読み始めた読物に,山岡荘八の「徳川家康」がある。徳川家康語録にこういうのがある。「志ある者は上役に追従しないものである,重役のもとに出入りしないような者の中に,かえって真の人。そうした中から人材を選ぶのが忠節の第一である」。どうしてどうして,含蓄のある言葉ではないか。倣慢な人は概して卑屈であることも多く,たいして恐れることもないが,こう平和になってくると,心の狭い奴ほど,ちょっとばかりの才を鼻にかけ,いい気になってしまう今日,倣慢の対局にあるこの人生哲学,肝に銘じよう。

入 試
 子供の頃,「鳥は1羽,2羽。鉛筆は1本,2本。紙は1枚,2放と数えます」と教えられ,鳥と鉛筆を足して間違いを掃摘された読者も多いことであろう。ところが,上級学年になるにしたがって,教える側のディメンジョン感覚がおかしくなる。ディメンジョンの全く異なる数学の点数,国語の点数,…の点数を足して平均値を出し,その人間の学力を評価してしまう。いや,学力どころか,能力を評価してしまう。筆者にはその感覚がずれているように思えるのだが,入試でもそんな評価法をしているところをみると,こっちがおかしいのだろうか。「ものしりコンテスト」では知的好奇心の強い人や論理を追求する人は損をし,ただただ暗記し,批判精神を持たぬ者か得をする。「指示待ち族」の登場である。その結果,大人社会から発信される情報をファイリングしてマニュアルを作成しておき,必要に応じてインデックスをひいてカタログをすばやく取り出せる人間が優秀とされ,困ったことには本人がそれを自己表現と勘違いしていることである。
 この種のとりとめも無い小才子にすぎない人種の弱点をお教えしよう。黒船ペリーが東洋人との交渉に成功した「恫喝と威嚇」である。御用心なされ,若きマニュアール・カタローグ様。しかし,この手法は有効であることは確かだが,いかにも品性が悪い。そこで,上品に「独立的創造力,発想力を持った人材の育成が重要」と言うことになるが,ケージの中で飼い馴らされた,許容的で豊かな管理社会では,この人材を異端者扱いしたいむきも多いのでは。
 ところで,筆者がお付き合いをきせていただいている先輩,友人には道路屋さんは少なく,好奇心の強い異論名(いろんな)のがいて良かった,失礼。

失 礼
 ASTMの”Polymer Modefied Asphalt Binder Symposium”はボウイ大佐やデピー・クロケットでお馴染みのテキサスの記念碑的場所アラモ砦の前にあるハイアット・リージュンシー・サン・アントニオ(Hyatt Regency San Antonio)で行われた。最近,学会にまで団体で参加する奇妙な日本国であるが,今回は筆者1人だ。厳密な査読・審査で世界に名だたるASTMの論文発表と翌日からコンベンション・センターで始まる“4th Annual 4R Conference and Road Sbow”の開催もあってか,サンアントニオ国際空港の電子掲示板を初め,新開,テレビ等,街中が歓迎一色だ。発表の会場も補助椅子では間に合わないくらいの大盛況である。移動する度に「イクスキューズミイ,サ」の連続である。
 講演の部屋に入り切れず立ってばかりいたせいか,脚がだるい。少し歩こう。

お世話になったASTM国際会議のMEETINGS ASSISTANCE
アラモ砦の夜景

リバー・ウォーク
 町の中心を流れるサンアントニオ川の川沿いはコロニアル風建物やメキシカンレストランが立ち並ぶ。御存知,ここは川沿いに散歩を楽しむリバー・ウォークのコース,いや,この町にたくさん見かけるメキシコ系の人々に敬意を表してパセオ・デル・リオ(Paseo del Rio)と言おう。
 輿にまかせて,レストランに入り,メキシコ料理の知識の無いままにメニューを指差すと,何やら持ってくる。結構いけるじゃないか。調子に乗って調味料に手を出すと辛いのなんのって,…辛いんです。店のマスターに最初に習ったメキシコ(スペイン)語がチレ(唐がらし)でした。おー,辛い。ホテルに急いで帰って日本のティバッグ茶を飲もう。もう,リバー・ウォークどころでは無くなった。急ごう。自転車が欲しい。

自転車
 子供の頃,田舎の駐在所のおまわりさんが自転車に乗って,のんびりと村をまわり,筆者等の悪童をつかまえては注意していた風景はいつの頃から無くなったのだろうか。ところが,車社会の本家・米国にそれがあったのです。警察官が自転車に乗って遊んでいると思いきや,自転車をよく見ると,フレームにSAN ANTONIO POLICEと書いてある。なんと,ここサンアントニオでは自転車警察官(Bicycle Police)が活躍しているのだ。警察官の話だと自転車は交通渋滞が無いので通報から2分で現場に到着できるという。すでに幾つか町からそのノゥ・ハウについての問い合せがあるのはうれしいかぎりだが,自転車が足りなくて困っていると,自慢していた。日本で車の交通渋滞でお悩みの皆様,いかがですか。

川沿いの散歩道・リバー・ウォーク


 一気にメキシコに飛ぶ。二千万人近い人間がひしめき合うメキシコ・シティのポルーション(pollution.とりあえず,公害とか汚染としておこう)はとにかくすさまじい。赤黒いスモッグ,排気ガスは敏感な筆者の目と鼻を容赦なくおそう。高地のせいもあって息が苦しい。道を譲るのは恥とばかりにとばしまくる車の間隙をぬって老人も子供も道を横断,斜行するのだ。ここから車でわずか1時間の距離に静かなる古代のメガロポリス・テオティワカン遺跡があるなんて信じられないほどだ。
 バス・ターミナルで世話になったメキシコ大学の学生が,「我々の課題はアメニティだ」と言っていたが,この実体を経験するとうなずける。

メキシコ・シティのソカロ(中央広場)
メトロポリタン・カテドラル
国立宮殿内のディエゴ・リベラの壁画「メキシコの歴史」
同じく壁画の一部

アメニティ
 副産物,廃棄物の処理技術に参画し,また,海の環境保全に関する研究をしているせいか,この「アメニティ」に関する研究に永年たずさわっている友人が多い。ところが,最近,「道路関係では私がその先鞭をつけた」かのような文章をお書きになる御仁,いや複数の御仁達が現われはじめた。研究等の領域・分野においては,「初めて」とか「先鞭」なる言葉を使う場合には,慎重のうえにも慎重を期して,使う必要がある。間違いが,結果的に訴訟に至る場合があるし、日本的には,「礼節」をわきまえないことになる。
 御存知ですか,「アメニティ」を「環境整備」と単純に覚えていらっしゃる御仁達,「アメニティ」という英語の複数は「礼儀」とか「礼節」という意味もあることを。イギリス人は相手の話を良く聞き,また,相手が答えにくいことを遠回しに示唆するのみでやめてしまう。問い詰めないと言う会話の技術を身に付けているわけだ。悲観することはない。あるじゃないですか,京風が。学びたいが,難しい。

繁華街
 メキシコ・シティで最も洗練された繁華街といえばソナ・ロッサだ。ファッションの先端を行く店,高級店,メキシコが誇る銀を初めとした宝石店,豪華なホテル等が軒を列ねている。
 著名な画家ホセ・ルイス・クエバスが高級イメージを狙って名付けたと言われているが,この英語訳はピンクゾーン。別にその種の店のゾーンではないのだが,最近,一部は期待に答えつつあるという。ソナ・ロッサ,何と魅惑的な響き,何と上品な呼び名。ソナ・ロッサ,ソナ・ロッサ,病みつきになりそう,ねっソナ・ロッサ。

ピンク色
 石材の自然色がでたピンク色の美しい建物,と言えば,何を思いうかべられますか?風俗営業?そうです,貴方は普通の人,世俗の人です。実はグァナファトのラ・コンパニーア教会です。教会です,教会。ここ,文化の町グァナファトはメキシコでも信心深い町としても知られ,正面の複雑な彫刻が美しいバロックの傑作サン・ディェゴ教会,カテドラル等,実に宗教関係の建物が多い。
 ピンクばかりではない。緑石造りのグァナファト州立大学はまさにお城の風格である。極めつきは,世界の3分の1の銀を産出していた頃の巨万の富をバックに建てられたという美しい建物,ファレス劇場だ。東洋的とも西洋的とも感じられる内部装飾は金をふんだんに使った豪華な装飾だ。色々な国の相当数のコンサートホールを観てきたつもりだが,それと比較しても本当に素晴らしい劇場だ。大きさもこぢんまりとして最高。

グァナファトのファレス劇場の正面
グァナファトのファレス劇場の内部

大きいのもあった
 ここグァナファトは国際セルバンテス祭の中心地でもあり,フェスティバル仲間には知られた場所だ。セルバンテス劇場前のドン・キホーテとサンチョ・パンサの像,メキシコ・シティの国立宮殿に一大叙事詩を描いた壁画運動の担い手であるディエゴ・リベラの生家,コロニアル風建物と街自体がこぢんまりとして実に美しい。
 ところが,大きいのもあったのです。独立戦争中の英雄・坑夫ピピラの巨大な像である。ファレス劇場の裏側と聞いたので勇んで登ったが,ピピラの像だけでなく山の高いのなんのって,町を一望できるくらい高いのです。メキシコは国土が高地のせいもあって息切れがひどく,脚ががたがたになってしまい犬のウンチをふんづけた。

独立戦争中の英雄・坑夫ピピラの巨大な像


 それにしてもメキシコの犬はどうして歩かず,吠えないのだろう?怠惰と言おうか,眠ってばかりいる。やはり,人間社会の習慣にあわせて,シェスタ(昼寝)をしているのだろうか。それとも,よく言われる例の「マニャーナ」が犬にもしみついているのだろうか?「マニヤーナ(明日)」と言っては仕事をすっぽかし,怠けるあれである。 我が家の生後9カ月になる愛犬リョウ君は,我が家の車の音がすると筆者が帰って来たと思って,何時間でもお座りをして待っているという。もう少しだ,と自分に言い聞かせて涙ぐむ。

涙ぐむ
 メキシコ版ロミオとジュリエットの悲しいお話がここ,グァナファトにあった。洋楽は明るい曲よりも,悲しいDマイナー,百歩譲っても変口短調と決め込んでいる筆者にはこたえられない話だ。この種の話は語らず,実体験が仲間内の流儀なのですみません,1つだけ。恋におちた若い2人の向い合った家を隔てる狭い路地,これが「口づけの小道」です。是非,お立ち寄りを,お二人で。

道ばた
 クウェルナバカって御存知ですか?常春の町,別荘地として有名で12月というのに赤色のバラ畑が美しい。また,カテドラルには「日本の26聖人か描かれた壁画」があり,なにか身近に感ずる。ここから高速道路(276号?)で銀の町タスコへ向かう途中のこと。道端の木々の根元から1メートル位が白く塗られている。最初は車両のガイド,交通安全のためだと思って感心していた。ところがユカタン半島やメリダや逆に太平洋側のグアダラハラ等メキシコ各地の,それも公園の木も白く塗られている。日本人の自然に対する感覚では違和感があるが,もしかしたら石灰で消毒しているのだろうか,あり除けとか,確認していないが。どなたか,御存知ありませんか。

クウェルナバカのコルテス宮殿