フェスティバルのことなど

何故,今,まつりなのか
 英国では毎月あるいは毎週どこかで大きなフェスティバルが行なわれている.音楽のフェスティバルあり,収穫を祝うフェスティバルあり,寺院のフェスティバルあり,これらにともなう種々の催し物(フリンジ・フェスティバル,あるいはフリンジ・イヴェント)ありという具合に,数えあげるときりがない.たいていは町あるいは地域の名前をつけており,音楽を主体としたフェスティバルが大半である.この時だけは普段は公開しない場所,秘物,作業をしている所などが公開され,多くの人出を呼ぶ.
 フェスティバル(まつり)は祭に通じ,また,まつりごと(政治)に通ずる言葉であり,収穫を祝い,労働を賛美し,それからの解放をたたえ,現在では社交の重要な場でもある.
 国家形成の複雑な過程を歩んできた英国では,自分の民族,地域に対する愛着,誇りが強く,また,その高揚のためにもフェスティバルが重要な役割を果たし,それのない新興住宅地の住民は悲哀を味わうことになる.一般に中流以上の英国人はその人がどこに住んでいるか,どのような居住空間をもっているかによって,その人を判断する習慣をもつ.属する階級.受けた教育.家柄によって話す英語までが異なるこの国のこと,その判断のしかたはあたっている場合が多く,事の良し悪しは別として合理的にすら思える場合があるから不思謙だ.したがって,フェスティバルの幹部になることは大変な栄誉であり,「武士は喰わねど高楊子」に似て,たとえ経済難であっても,家柄,教養を誇る人々は名誉職を得て喜々としているのである.もっとも日本国の江戸末期のそれに似て,大枚の寄付金を出して少しずつ社交上の地位をかためている人々もあると開く.いずこの国も同じであり,これが社会をダイナミックにしている要因でもあろう.筆者が今まで行ったフェスティバルで日本人に会ったのは一度だけであるが,彼(BBCのスタッフ)の弁によると,BBCは外国人スタッフをよくフェスティバル見物に行かせるという.さすがと思う.
 筆者は英国(人)をより深く理解すべく,家族とせっせとフェスティバル通いをしているが,おことわりしなければならないのは,このフェスティバル通いを誇る気はさらさらないことである.物価の安いこの英国で,サイエンスト・クラスの給料が25%以上も上昇するほどのインフレ.ここ故カ月のポンド高(円安)で家族5人の生活はしだいにきびしくなってきており,通常の英国人並(?)の生活を余儀なくされつつあることを白状しなければなるまい.おやじ殿,お助けを!

カネとタイコ
 まつりにカネとタイコはつきものである.カネとタイコは金管楽器,打楽器等の楽器を意味すると同時に,金あるいは広報(アジテート,格調高く世論のリ-ド)を意味するつもりである.いずれにしても,チンチン・ドンドンなしでまつりを語れない.何々ミュージック・フェスティバルとことわらないフェスティバルでも,かならずコンサートが催されるからおもしろい.
 今年の世界道路会議がウィーンであるためか,私の所にコンサートのプログラムについての問合せがあるほど,読者諸氏の中にはお好きな方がいらっしゃるようなので,今後のために英国におけるその主たるものをあげよう.
 Edinburgh Folk Festival,International Festival of Country Music(London),York Early Music Festival,English Bach Festival(London),Chichester Festival Theatre Season,Brighton Festival,Perth Festival of the Arts, Bath Festival,Leeds Musical Festival,Glyndebourne Festival Opera Season,Nottingham Festival,Aldeburgh Festival,Greenwich Festival,Chester Festival,Cheltenham Intemational Festival of Music,King Lynn Festival,Haslemere Festival of Early Music,Fishguard Music Festival,Southern Cathedral Festival,Cambridge FoIk Festival,Edinburgh Intemational Festival,Salisbury Festivities,Windoser Festival.
 これらの組織に手紙あるいは電話をすることによって,例として示すような簡単なリーフレット(これはNottingham Festivalのそれである)が送付されてきて,気に入ったものがあったらブックするという仕組になっている.

Nottingham Festivalの予約ブローシュ

またカネとタイコ
 筆者の全く個人的な考え方であるが,キリスト教が広く普及した要因の1つは,絢爛蒙華な教会(あるいは寺院)の中で,あるいは低音の良く響く音楽環境の中で聴かせる宗教音楽やパイプオルガンの響きにあると思う.あれを聴いては我を忘れない方が不思議であると思うのだが….それにしてもとびっきり才能のあるのがいたものだ.
 先日,こちら(英国)のテレビで米国において某氏が近代的な建物(教会)を建て,この中でロックを演奏し神について説いているフイルムが放送されていた.その勢力は加速度的に増しているという.「アメリカン・スタイル」と英国人は言うが,基本的あるいは古典的手法である音を利用した方法論をとったと筆者はみたが….

どっちが進化している?
 英国人の大学進学率は10%に満たなく,AレベルあるいはOレベルという一種の資格を得るために,BBCテレビ(1および2)で開講されているオープン・ユニバーシティ(放送大学)で勉強している.これが彼らの自慢の1つであるが,たしか筆者の記憶ではNHKの某元総裁が渡英した時にこの発想を講演したはずであり,日本にオリジナリティがある」と声高らかにパブで宣伝するのであるが,正直言って迫力がないんだよな.仕様がないから,「手足の長いお前らの方が猿に似ている」と反論するのだが,やはり寂しくなる.それにしても手足の長いのには参る.小用のしやすいそれもあるが,筆者らが足しげく通うロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールの小用の便器のそれになにをするのにつま先で立たなければ用を足すことができないとは! これは最も基本的な欲求であり,この時はまさに日本が恋しくなる時である.蛇足ながら,尊者はごく音通の体型をした日本人であることをあらためて強調したい.

アイスについて
  Nottingham Festivalで思い出したが,道路関係の研究で著名なノッチンガム大学(Nottingham University)のP. S. Pe11教授の在位20年を記念して,世界最古の土木学会である英国土木学会(Institution of Civil Engineers,ICE)で,同教授と米国カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)のC. L. Monismith教授の講演会に参加する機会(1979年7月16日)を得た.
 欧米という二字で片づけるにはあまりにもその違いを感じ始めている時でもあり,興味津々たるものがある.
 1818年にロンドンで設立されたICEの建物はビッグ・ベンのすぐ近くにあり,じゅうたんを敷きつめ,装飾をこらし,壁にはICEの初代会長であるTelford氏を初めとするⅤIPの肖像画がかけられているなど英国的である.最後に会長が挨拶した時に,「この美しい建物を評価してくれ」という具合に,また,英国的である。
 筆者はここで両教授の学問上の思想の相違を論ずるつもりは全くなく,同じような職業についている英国人と米国人の違いについて感じたことを簡単に述べるつもりである.

ユニオン・ジャックか星条旗か?
 Monismith教授は舗装をシステムとして把える研究の重要性を指摘し,環境.舗装材科,舗装構造,施工,経済性,総合的評価など全般にわたって見解を述べた.
 Pell教授はホームグラウンドのせいもあろうが,典型的な英国スタイルでその見解をぶちまくった.むずかしい表現になると思うが,筆者には英国人のジュスチアは決して、いわゆる格好がいいとは思えない.ただ.手をふり上げる時はふりあげるらしく,笑う時には大声で笑うというようにごく自然であり,これが英国的身ぶりの一要素をなしているのかもしれない.Pe11教授の講演から二,三拾ってみる.
 ・典型的米国の象放として長大橋を見せ,次に今にも落ちそうな英国の数世紀前の橋(Iron Bridge)を見せる.歴史の差を皮肉っているのか,両国の現在の国際的地位を言いたかったのか?
 ・AASHOの道路試験の業績に最大の賛辞をおくる.条件付である.英国の道路試験の発想を発展させたというのである.
 ・舗装率100%の英国は米国と違って道路の新設もさることながら,オーバーレイに興味があると言う.
 ・きりがないから最後にPell教授が言った.まさに英国的と言える例を出そう.「我々は良き道路を建設するために協力し合って行くべきだ」(正面に飾られているICEの初代会長Telfordを指さしながら)「わがICEの会長,偉大なる舗装の先駆者のもとに」とくる.いや参った,参った.
 おおまじめに,豪放というか,いかついジェスチャをしながらぶちまくられては世界的にその名を知られているMonismith教授も苦笑の連続である.筆者の個人的見解では,やんやの喝采をあびていたPell教授の言動を傲慢ととったらトンチンカンであると思う.教授は皮肉を言っているわけではなく,おおまじめに本音を吐いており,正直な英国人なのである.
 帰りにMonismith教授が忘れ物をして1階ロビーから2階の会場にかけあがった.どこぞの国ならゲストを走らせはしないが(この国の人の走っているのを見たことがない.最も英国人の脚の長さではゆっくり歩いてもかなりの速さであるが….),わずか数分の時間なのに,「ティを飲んで待っている」とくる.いや参った.参った.

小学校に行きたい
 教育の基本となる小学校のことは筆者にとっても最も興味あることの1つである.御存知のようにEatonやWinchesterのような有名バブリック・スクール(私立学校)あり,一般のプライマリー・スクールあり,学校によって教育方針が異なるなど,ここでも複雑である.ごく少数の学校を除いて低学年では通知表のたぐい(子供の成績の順番をつけるなど)というものはなく,学期末に親が出かけて子供の作品(勉強した事)を前にいろいろと話し合うというシステムである.子供の自由を尊重すること,日本人には驚きである.同じクラスでも,こちらで絵を書いているかと思うと,あちらでは本を読んでいるという具合に先生が実によく働く.“実際に試してみる”という思想はここでも徹底している.たとえば,鳥の羽根の役目は,①飛ぶため,②体を寒さから守るため,を数日間で教える.一時間ではなく数日間ですぞ.これで驚いてはいけない.実際に鳥の羽根をみせるために(さわってみるために),何と先生と生徒が1日もかけて,そこいら中を探し回るのですぞ.いや,御苦労さんと言おうか,のんびりしていると言おうかこれでも喰って行ける底力があると言おうか,たいしたもんだ.やっぱり,あれじゃ学習したことを忘れるわけがないし,健康に良いし,深く考えさせられる時である.
 筆者のせがれは日本の学校を知らないが,朝のテイ・タイム,ランチ,そしてこの教育方法じゃ帰りたがらないのも無理はないというもの.成績のほどは?筆者も人の親,おかしなことを書くと,せがれが一人前になった時が恐いので御勘弁のほどを.
 なお,徹底的つめ込み主義で教育している小学校もあり,筆者らの友人の子供がそこに行っていることもつけ加えよう.

ユニオン・ジャック
 英国人の国旗好きは定評があり,国旗を見ない日はない.たしかに,かつて帝国を築いていた頃のシンボルであったユニオン・ジャックを神聖視しなくなった多くの若者をみるし,ヴィクトリア朝の頃の成金精神をブラックユーモアで皮肉る人々もいる.しかし,子供達が国旗を見つける競争をするほど国旗が多いことは現実である.筆者がドライブをする時は,子供達はきまってこの遊びに興じている.ロンドン市内を車でドライブしている時に,あっと驚くほどユニオン・ジャックをひるがえしている所があった.「さぞかし,由緒ある建物だろう」ということで20,30分は走り回ったが,どうも事情が違う.何のことはない,これが走るとは思われないような中古車売場だったのだ.

またユニオン・ジャッタ
 陸上の盛んな英国で今話題になっているのが,Loughborough大学のSebastian Coeで,次々と中距離競走の記録更新を続けている.「何のために走るのか」と質問されると,「俺は英国人だ」とくる.800mの記録更新をした時,彼は何とスタンドからユニオン・ジャックをとってグラウンドを一周したではないか.これじゃ,愛国ジョンブルが興奮しないわけがない.スタンドからどっと観客がなだれ込み,ワッショイ,ワッショイ.読者諸氏,驚くなかれ,ポリスマンが警備どころか,先頭にたって抱きついているのですぞ!007,ジェームズボンドの登場以来,影の薄くなったスコットランドヤード(Scotland Yard)をはじめとするポリスマンはこうして非難どころか,国民の人気を得るのである.普段はおとなしく,人のことに干渉しない英国人も,とにかくこのような雰囲気になるとユニオン・ジャックのもとに団結するから不思議だ.それにしても,すがすがしい1日であった.

日の丸はどこ?
 6月未から英国トーマスクック社の主催する北欧の旅に出かけた時,カナダ人,オーストラリア人,ニュージランド人,そして唯一の日本人(筆者)は皆,国旗のバッジをつけていた.「日本人が国旗のバッジをつけているのは珍らしい」と言うことで,「なぜ,日本人はそれをつけないのか?」の質問ぜめにあった.「自分の国籍を正しく理解してもらえないで,不愉快にならないのか?」「その通り!」「日本の国旗は美しい」「感激!」「日本国は極東にあるから(なるほど,日本の世界地図ではわからないが)太陽が出てくる国を象徴しているのか?」「良いこと言うよ,このカナディアン!」
 筆者にとってラッキーであったのは,親日家で日本人のための英会話の本を出したり,日本の書店Mで個展を開いたことのあるHarold Elvin氏がツア・コンダクターであったことだ.氏はノンフィクションの分野で世界的賞をものにした人物でもあり,あるいは御記憶の読者諸氏もいらっしゃるかもしれない.
 筆者が道路関係の仕事をしていることを紹介すると,他のツアーフレンドの了解をとって,ドイツのアウトバーン(Autobahn)を初めとする興味ある道路,構造物の場所でドライバーに命じてストップしてくれたことは,あらためて深く敬意を表したい.

大陸孤立か?
 北欧に向かうためには,まず,ドーバー海峡を渡らなければならない.“メガネとカメラ”で日本人旅行者を象徴するブラック・ユーモアを日本の新聞で読んだことがあるが,筆者には十数年前ならともかくも,現在では優秀なカメラを製造できない,あるいは持てない外国人のコンプレックスのように思える.フェリーの中は大半が旅行者であり,大半が“Passed”のラベルを貼った日本製のカメラを身につけていたのは時代の流れか.Nを持っていようものなら好きな連中が免税で買った葉巻を1本くれて,「さわっていいか」の連続であり,カレーの税関でびくびくしたものである.
 ドーバー海峡は霜が深く,島(大プリティン島)をよく見ることできなかったが,それにしても,この英国を象徴するような,相当以前に英国の新聞にでたという次の記事を思い出し,筆者は苦笑とともにエリを正して真剣に英国という国を考えるのである.

「ドーバー海峡に濃霧発生す.大陸孤立か?」