キューバ・残像

たまには舗装も
 本紙とのお付き合いはTRRLに留学していた頃の英国印象記以来ですから、実に10年ぶりです。あの時も確か、年末のあわただしさをよそに、雪見酒の一杯気分で書いた覚えがあり、どうも、今もってワンパターンです。
 それでは久しぶりに舗装の話の始りぃ、始まりぃ。

舗装の話
 新素材に凝り、土木学会論文集とすっかり仲よしになったが、たまには舗装もということで、米国はテキサス州サンアントニオで行なわれるASTM(American Society for Testing and Materials)の”Polymer modefied Asphalt Binder Symposium” に論文を発表し、翌日から行なわれる米国舗装界恒例の一大イヴェント4R Conference に出席するため、12月 1日に成田を発つ。21日までの旅である。
 舗装界というマイナーな分野ではあるがお馴染みのビッグ・ゲスト達の日本への興味は強く、アメリカ的と言おうか、挑戦的で真剣な質問が続く。日本からの唯一の参加者である私はサザン・ドローィング・イングリッシュを楽しみつつ、これまた、バークシャ・エィクセントで対抗したのでした。それにしても、スライド映写でお世話になった美女・キティ嬢がピストルの形をしたリモコンを持って「ハーィ・キィルュー」と言った時はびっくりしたな。私には南部なまりでは「キティ」は「キィルュー」に聞えるのである。おおー怖い。

アラモ(ポプラの意味)砦
ASTMシンポジウムの受付

怖い
 「キューバ」。何をイメージされますか。「怖い」「社会主義国」「共産主義国」「カストロ」…といった類のキーワードが返ってくる。私めはまず「カストロ」だ。そこまでは同じだが、「ダビドフ」「コロナ」「トロピカーナ」「ハバナクラブ」「ボデキータ」「カリブ」「コバーナ・ミュージック」「ヴァラデーロ」と楽しいイメージの片仮名が続く。米国や南米の特定の国との関係はともかく、親日家が多いと聞く。
 論文発表は終ったし、せっかくキューバと仲よしの国メキシコに行くのだから、まずは行ってみよう、ということでメキシコのメリダから飛んでハバナを中心に滞在しました。スペイン語はだめです、念のため。
 舗装の話?終りましたよ。

親日家
 フィデス・カストロ・ロス国家評議会議長は昭和天皇が亡くなられた時、3日間半旗を掲げることを命じたという。日本とキューバの関係を重視した姿勢の表れであり、どうして大きく報道されないのだろうか。ハバナ市植物園に日本庭園があることはあまり知られていないようだが、1年に30万人のキューバ人が訪れているんですよ。
 本年(1990年)10月27日にはハバナ市装飾美術館で日本週間が催され、空手、生け花等が披露されたという。日本の浮世絵に対する関心も強く、メリダ近くのピラミッドで有名なウシュマル遺跡を観に行った時のこと、いっしょになったキューバ人・X氏の葛飾北斎に関する知識にびっくりしたものだ。
 柔道も盛んだと聞くから、キューバのこと、バルセロナオリンピックでは御用心。

葛飾北斎
 葛飾北斎は様々な画法に興味を示し、学んだという。号を30回、居を93回も移すとはユニークで愉快な性格ではないですか。
 洋の東西を問わず、引っ越し魔は多いもの。音楽界ではベートーベンが有名だが、筆者の知るもう1人の引っ越し魔は何と言ってもシューベルトだ。だって、引っ越しの最中に引っ越すとは傑作じゃないですか。そうはいっても我が身に置き換えたら、枕が合わないホテルにいるようで、とてもじゃないが落ち着かなくてだめだ。

ホテル
 観光によるドルの確保が目的でスペインと合弁でホテルの建設に力を入れているというが、ハバナに関する限り、まだ、効果があがっていないようだ。旧ヒルトンを接収したハバナ・リブレは設備、ホテル内のドル・ショップの数、店の品数といい、まだまだ健在だが、海岸を望む美しいホテル・ナショナルは閉まっておりました。
 毎年12月に行われるラテン・アメリカ映画祭とぶつかったせいか、どこのホテルも満員だ。この国の数少ない楽しみの1つが映画のせいか、ファンにはこたえられないスターが世界各国から集まっており、ロビー等でインタビュをしている。
 筆者はホテル・カプリを割り当てられたが、このクラスだと、もし東京なら2万~3万円はいくだろう。チェックインすると名前と部屋の番号を記入したカードをくれる。「何だ、日本と同じじゃないか」と思ってはいけない、実はこれが朝食と夕食の時に大事なんだ。食事の時間がきたので地下のレストランに入ろうとしたところ、入口で太ったおばさんににらまれる。どうやら例のカードを出せと言っているらしい。あせってポケットというポケットをひっくりかえしてやっと見つけ出したところ、にこっと笑って引替券をくれる。「何だ、社会主義の国でもサービス業の人は笑うのか」と変に感心して前に進む。カリブのフルーツ、サラダ、卵ととっていき、メイン・デイッシュをとろうとすると、また、そこの担当のおばさんににらまれる。例のカードを見せたが受け取らない。「そうか、引替券か」。さっきもらった引替券を渡すと、今度は笑わないで何か言っている。メィン・ディッシュが3種類ほどあるから、おそらく選びなさい、と言っているんだろう。指差すと実にあざやかに皿にもりつけてくれる。コーヒー等の飲み物をとって、ナイフとフォークが置いてあるテーブルにやっと座ることができた。「あーあ、良かった」と安心して食べ始めると、今度はサービス担当らしいおばさんがやってきて何か言っている。これでおばさんは3人目だ。あせって他のテーブルを見渡して筆者のテーブルに無いものと言えば、…ビールだ。そうだ、ビールだ。「ビビビール、いや、びびっちゃいない、ビール、いや、セルベッサ」と言ったが、頼りの「にこっ」が無い。恐怖。どうしよう。「何か、へまをやったかな、引替券は渡してしまったし、…そうか、カードだ、カードだ」。だが、例のカードを見ても、サービス担当のおばさんは何も言わず奥の方へ行ってしまう。食事が喉を通らないでいると、このおばさん、威勢良く歩きながらビールを持って戻ってきたではないか、それも筆者の大好きなデンマークのカルスベルグを。カルスベルグだよ。ひょいと置いて例のカードに印をつけておばさんは次のテーブルへ行ったのでした。ありがとう、おばさん。本当にありがとう。しかし、慣れてしまえばこれほど便利なシステムはない。次の日からはコバーナ・スタイルの通だ。
 さて、味の方はというと、米国のサンアントニオで泊まった最高級ホテルのハイアット・リージェンシーなら夕食だけで確実に80$、赤坂界隈のホテルならその倍はとられよう。日本の物価はめちゃめちゃだ。

バロックスタイルのカテドラル
ハバナ大学
ハバナ大学近くにあるナポレオン博物館
ラテン・アメリカ映画祭の映画を観るために並ぶ人々
モロ要塞
革命広場のチェ・ゲバラ
革命広場のオベリスク

めちゃめちゃ
 筆者は朝が怖い。とにかく、挨拶もできないくらい英語がめちゃめちゃなのである。午後になるとそれなりに話せるところをみると、どうも「日本語で眠っているせいらしい」。このジョーク、今回訪問した米国のサン・アントニオやニュー・オルリンズ等でうけまくり、田舎者を丸出しで連発したが、次の話はスペイン語を国語とするキューバで起きた瓢箪から駒の話。
 朝、ボーっとしていたせいか、キューバにいることを忘れて、「鍵をくれ」と日本語で言うと、フロントの色男、ちょっと考えた後、上品なしぐさで鍵をくれたではないか。「えっ、なに?」。鍵がわかるのかな。いい気になって鍵をぶらぶらさせながら「鍵」とたたみかけたが、今度は怪訝な顔をしている。「おかしいな、鍵をくれたのに」…、「そうか、目が覚めたぞ、鍵はフランス語でcle だ。鍵が分ったのではなく、クレが分ったのか」と自分勝手に納得したが、スペイン語もフランス語もルーツは同じラテン語、スペイン語でも鍵はクレなんだろうか。

ダビドフはあげられない
 御存知、ダビドフ。葉巻ファン睡涎の的ダビドフがドル・ショップで簡単に手に入るのだ。ダビドフが銀座で五千円だ一万円だ、と嘆くなかれ。親の代からのよしみでおかみと示し合わせて裏口から入れてもらい、立板の機嫌をとってすすった初ものの吸い物が田舎の御祝儀でもそのくらいはする御時世だ。もっとも、裏口から入れてもらうから高いのだが。
 ロスマンをやめてから10年。目がまわるほどの濃いコーヒーをちびちびやりながらダビドフをふかす、正調葉巻ふかし。あーあ、やめなきゃ良かった。ホテル・リブレでモンテ・クリストをくわえながら丁寧に巻いていた葉巻職人のおじさん、筆者が飽きずに見続けていたせいか、コイーバを一本くれて「吸え」というジェスチャをする。「いや、吸わないんだ」、と表情で示すと、腕を折りまげて力コブをつくり、「男たるもの、タバコが吸えないでどうする」といった顔をする。そうだ、男たるもの・・。
 帝政ロシアの頃、5才の時にジュネーブに亡命したジーノ・ダビドフは父親の下でタバコ修業に明け暮れたという。ここキューバで最上級のタバコの葉、御存知、黒タバコの葉に出会ったのがツキの初め。帰国した後、わずか25才でスイスにシガー専門店を開いたのだ。男たるもの…、こうでなくっちゃ、ねぇ、おふくろさん。

葉巻職人

お袋の味
 「お袋の味」という宣伝文句が氾濫している。筆者の年齢くらいまでは「お袋」は特別の存在であり、やりくり上手、工夫した食事、きびしいしつけ等のキーワードが出てこよう。この「お袋の味」の宣伝文句は酒場だけではない。テレビで堂々と宣伝しているのである。テレビに出てきたらもうおしまい、深く考えることはないのである。「お袋の味」とはなんのことはない、「袋の味」としか言いようの無いパックに詰めたインスタント食品のことなのである。もっと怖いことは「お袋の味」からとれた接頭辞「お」は「しつけ」のほうに付いて「おしつけ」が幅をきかしているのである。

おしつけ
 最近、3Kとか、5Kとかで人手不足だが、今は昔の学生の就職難の頃の話。会社に下げたくもない頭を下げてやっと就職の世話をしたのに、入社日に来ないという。「常務、4月1日だからといって冗談きついですよ」「・・?」、「いや、エイプリル・フールといっても冗談がきつすぎますよ」「いや、先生、本当に出社していないのですよ」「何?なにっ!」。あせって、元学生殿の自宅に電話したところ、「母さんが行くなと言ったから」の返事。母さんも「えぇ、すみません」。
 就職難の頃の話がこうである。ましてや現在は推して知るべし。最近、人出不足のせいだろうか、大工の棟梁の年齢がおっそろしく若く、仕事を早々ときりあげては、高級車でどこぞへ消える大工さん、おっと、失礼、カーペンター、いやいやどうしてアーキテクチャが多くなったが。

アーキテクチャ
 どうして日本ではアーキテクトは工学部になったのだろうか。細かな違いはあるが、おおまかに言うと、たしかヨーロッパでは芸術学部出身者だと記憶していたが。ヨーロッパでは建物1つでも周囲とのマッチングが求められるせいか、建築のプロセスの中に芸術監督がいる。芸術家には博士はいないし、また、必要もあるまい。今までも言われてきたことだが、これからは技術の向かう所、そういう意味での芸術が必要になろう。
 ロダンが言うように、「習いごとは、徒弟にならなければだめだ。生徒ではだめなんだ」。確かに、彫刻は職人的な仕込まれ方と鍛練が必要で、彫刻方程式?を先に教えてしまう学校の授業では芸術家は生れまい。

芸 術
 旧市街の中心にあるホワイトハウスそっくりの旧国会議事堂カピトリオのあたりをブラブラしていると石造りの建物の中で木材にかんなをかけている光景にぶつかった。大工さんの仕事を見るのは飯よりも好きで、近所で家を建てていると、建て主でもないのにおやつの時間にお茶を入れたり、…とサービスに努め、仕事ぶりを見せてもらう。もっとも、端材をもらってきては地下の音楽室?で燃やして芸術の華・火を楽しみ、ノイズ(木のはじける音)入りのポリーニやブレンデルの音に聴き惚れることも目的なのだが。
 ジェスチャでを撮っていいかと聞いたところ、このかんなをかけていた大工さん、何を勘違いしたか、他の人に命令して全員集合してポーズをとりはじめた。髪にクシを入れる人、ヒゲをなおす人、顔を洗う人までではじめた。「い、い、い、いや、そういうのじゃないんだよ、た、た、た、ただ、を撮りたいだけだよ」とあせり、ためらったが、ここでやめては申し訳ない。じっくり、時間をかけて3枚、撮らせてもらった。それにしてもこの貫禄のあるかんなのおじさん、棟梁なんだろうか。

キューバの旧国会議事堂カピトリオ

棟 梁
 最近、構造物の耐震設計に興味を持ち、例のフェライトを使った免震アイソレータの開発に成功したが、木材に凹凸のきざみを入れて接合することによって柔軟性を得、耐震・防腐効果を持たせた五重の搭等にみられる日本伝統の技にはなかなか見るべきものも多い。だいたいにおいて、大工さんの道具が優れている。かんなは朝鮮半島から、のこぎりは中国から伝来したと言われているが、日本人はいずれも手前に引いて使うように工夫した結果、細い刃が使え、また、コントロールをしやすくしてしまった。これじゃ、細かい作業ができるのが当たり前だ。西洋では押しますよね、それも立って。
 ノミにしても刀鍛冶の影響を受けて素材がすぐれている。しかし、肝心の大工さんは、学校教育を受けた日本の若い大工さんの腕前はどうなんでしょう。

大工さん
 メキシコで知ったことだが、メキシコやキューバでは大工さんの呼び名は「マエストラ(マエストロ)」。大工さんばかりでなく、左官、人夫も「マエストロ」。ここまでならたいして面白くないのだが、大学の修士号(マエストリーア)をもっている人も「マエストロ」。最近、重みが無くなったとはいえ、「ドクター(ドクトール)」はハリ、あんま等の病気を治す人のことを言う。私の職業「プロフェソール」は日本と似ていて、お料理、踊り等の先生をいう。職業に偏見を持った意見ではありません、念のため。
 では、もっとも重みがあるのは何か。「リセンシアード・松本」でした。でも、どうしてメキシコ人は日本人のことを「お前の名前は松本か?」ときくのだろうか。会う人、会う人、「松本か?」と聞いてくる。ピンク・ゾーン、いや、ここは上品に?スペイン語でソナ・ロッサと言おう、メキシコ・シティの銀座ソナ・ロッサの繁華街だけではない、いろんな場所で「お前の名前は松本か?」とくる。ついつい、「いや、俺の名前はリセンシアード・Mだ」「学士・Mだ」と言うと尊敬される。学士がもっとも尊敬されるのだ。それにしても「ポピュラー・ユーモァ・松本さん、メキシコで悪いことしてませんか?」

遊んでくれたマエストラ(大工さん)

ユーモァたっぷり
 数ある博物館の中で、規模がもっとも大きいのが革命博物館(Museo de revolucion)というのはキューバのお国柄か。革命博物館前にはメキシコに亡命していたカストロがゲバラたちとともに再びキューバに上陸した時に乗っていた船、メモリアル・グランマ号が展示してある。を撮って、入口からおそるおそる入っていくと、愛想の良いおばさんが上を指差し、何か言っている。まず、3階に上がり、2階、1階と降りてくる見学方法なのだ。
 キューバの革命の歴史が、衣裳、武器等の展示でたっぷり見せられ、最後に、1階に降りてきた時、「Thank you for helping us to make “revolution”」と英語で掲示されていた。なかなかユーモァがあり、うまいじゃないか、と感心していると、さらに、文化に対する投資が多いこと、ラムや砂糖等の輸出高を棒グラフで示した表で駄目押し。わかりました。

革命博物館
革命博物館の前にあるメモリアル・グランマ

ラムや砂糖
 トロピカル・ドリンクの代表格はモヒートスだ。ラムと砂糖の混ぜ物に、ハッカの葉が入っているカクテルだ。かき混ぜながら飲むのがハバナ流らしい。すっかり、気にいってしまった。日本では一流クラブでも入手が難しい御存知ハバナクラブの最高級7年ものならなおさら御機嫌だ。これくらいのものを飲まないとヘミングウェイばりの文章は書けないようだ。ということで、アーネスト・ヘミングウェイがこよなく愛し、サルバドール・アジェンデが壁に落書きし、ニコラス・ギジェンが詩を捧げた「ボデキータ」に行ってみたが、昼食時の雑踏で身動きがとれないほど込んでいる。これくらいの由緒あるレストランになると予約が必要だそうだ。

アーネスト・ヘミングウェイがこよなく愛したレストラン「ボデキー タ」

トロピカーナ
 パリのリド、ヴェガスの・・と並び称されるキャバレー「トロピカーナ」に行ってきました。国家公務員のキャバレー「トロピカーナ」ですよ。欧州、米国、カリブとそれぞれに特徴があり、簡単には比較できないが、客の興奮度からいってズバリ、世界一。舞台が意外に狭いなと思っていたら、さすがカリブの野外キャバレー。高い木を利用して3階に相当する舞台を造り、木の茂みの中からダンサーが出てくるのには驚いた。興奮して2回目のショーまで観てしまい、終ったのは深夜の2時頃でした。おかげで帰りのタクシーがなかなかつかまらず、ホテルに戻ったのは3時半でした。24時間交通機関が動いているのだ。ところで、30分間深夜タクシーに乗ってたったの6$ですよ。
 カリブとはいえ12月だ、野外キャバレーじゃ寒いだろうと上着を引っ掛けて行ったが、とんでもない。汗びっしょりだ。泳ぎたくなってしまった。

泳ごう
 メキシコのアカプルコは一昔前のビーチ、今やカリブ海に人気が集り、中でもカンクンは世界中の若者に圧倒的人気を誇る。ところがです。もっとすばらしいのがあるんです、国交の無い米国の若者が遊びに来れないここキューバには。ヘミングウェイの「老人と海」の舞台コヒーマルとその東側サンタ・マリーア海水浴場。そうです、そうですが、そこは話題のイラクに出かけたレスラー議員にまかせて、もう一声。「そうか、ヴァラデーロ」。そうです。カンクンに飽きた贅沢者が集る超一流のカリビァン・ビーチ、ヴァラデーロ。とにかくきれいだ。「ナポリを見て死ね」…ない。早すぎる。緑っぽいカリブの海で強烈なリズムにあわせて踊ってからだ。
 ハバナから車で約1時間半。途中、おなじみの石油掘りの光景にぶつかる。東欧圏からの援助が打切られて、ガソリンが無く、中国から20万台の自転車を輸入、さらに50万台を輸入予定だそうだ。さらに、製造工場も輸入して、年間60万台の自転車製造を計画中という。 このような現実を忘れさせるかのように、陽気なコバーナ・ミュージックが流れ、トロピカル・フルーツが香り、そしてカリブの夕日は美しい。

ヴァラデーロ・ビーチ
ヴァラデーロ・ビーチ
ヴァラデーロ・ビーチ
ヴァラデーロ・ビーチ
石油堀
途中、この橋の上でバスが故障した