ウィーン・残像

ウィンナ・コーヒー
 ウィーンを訪れるのは,何度目であろうか?最初に訪ねたのは1979年だったと思う.パリからオリエンタル特急「モーツァルト号」でウィーンに来たことは覚えている.
 今日の国立オペラ座は,リヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」.チェコスロヴァキアのブラティスラヴァとプラハで学んだルチア・ポップがヴェルデンベルク公爵夫人マルシャリンを演じるとあって,時差もふっとんでしまう.正直なもので聴く方の意気込みが違うのだ.50才を過ぎてなお艶のあるこのふくよかなリリック・ソプラノはオペラ座のバロック調の内装の,いかにもベルカント好みの仕上げにぴったりだ.

国立オペラ座で観た「ばらの騎士」のチケット

 ところで,公演が始まる前に軽く食事をしようと,国立オペラ座の裏手にある日本の大手百貨店の名を冠したレストランに出かけたところ,1991年7月20日閉店,開店以来5年10ヶ月お世話になった旨の張り紙がしてある.東西ヨーロッパの接点,世界中の料理が集るここウィーンで世界に伍して頑張ったのに閉店とは残念と思ったのも束の間.帰国後に読んだ新聞に,この百貨店のグループが1985年に買収した「カフェ・モーツァルト」を店じまいし,かわりに日本人観光客を狙った高級ブティックに改装させるという記事が載っていた.カフェはウィーン人にとって英国のティと同じくらいに生活に溶け込んだものであり,とくに1929年以来「モーツァルト」の名を冠し,映画『第3の男』でも知られる由緒あるカフェの閉鎖は,地元の人達の神経を逆なでする「不粋な日本人」としてまたまた批判の対象となろう.その後のウィーンからの情報によると,案の定,区長を先頭とした廃業反対の署名運動にあってブティックの一部にカフェを残すことで妥協するそうだ.それ見たことか.成熟した大人社会に仲間入りするには日本人はまだまだと言おうか,最近とみにと言おうか?でも,昔の大人達,先輩達は見事に乗り切ってきたはずだが.


シュテファン大聖堂の屋根とウィーン市内の一部
シュテファン大聖堂の内部
シュテファン大聖堂から見たウィーン市内.遠くにプラター遊園地の大観覧車が見える
清掃中の シュテファン大聖堂

最近とみに
 大量・安価をもって国民の海外旅行に貢献したジャル・パック?は,無くなったはずだが,ポピュラーな観光地で最近とみにこの種の団体に出くわすところをみると名前を変えたパックが出ているのだろうか.「パックで包んでカルチャー・ショックが起こらないようにしている」と,皮肉を言う方がいらっしゃるが,多くの方に海外に目を向けさせ,文化に触れていただいたことは,多大な功績だと思う.私も含めて,『百聞は一見に如かず』です。
 一人旅らしい人にもすごい人がいますよ.シュテファン寺院の入口で,背中から「骸骨見やはりました?」の大声.観光案内書を片手に持った軽装の太ったおばさんである.近くにいた愛想の良いイタリア人ご夫婦はにこにこしているだけだし,こっちのドイツ人はむすっとしているし…そりゃそうだ,イタリア人やドイツ人に日本語で話かけたってわからないさ,おばさん.とにかく,そんなことにおかまいなく,一人では骸骨が怖いので日本人らしい私につきあえというのだ.おばさんねぇ….それにシュテファン寺院がゴシック(ゴチック)だけだと思うのは勝手だけれども,ゲルマンの人にあまり「ゴチック,ゴチック」と繰り返して言うのは止した方がいい.「粗野・悪趣味」ととられたら大変だぜ,おばさん.

 私はパリのカタコンベは知っていたが,シュテファン寺院の地下にカタコンベがあることは知らなかった.なんのことはない,古い骨を整理するために洞窟に放り込んだにすぎないものだ.とすると,ここウィーンもパリの地質と同じように骨の保存が良い石灰岩の地質なのだろうか.関東ロームなら骨は溶けてしまいますよね.
 見終わって地下から上がってくると出口にモーツァルトの顔を型取った銅板?が付いている.たしかモーツァルはここシュテファン寺院でコンスタンツェ・ウエーバーと結婚式を挙げたし,葬式も行われているはずだし…,もしやと思って案内人に銅板?が付いている理由を聞くと,モーツァルトはカタコンベには関係なく,単にジョークだと言う.悪い冗談だよ.
 さて,こだわるようだが例のおばさん,観光案内書を忙しなくめくりながら「ここのカタコンベで歴代皇帝の心臓以外の内臓が収められている壷を見たから,次にカプチナー教会に残った心臓を見に行こう」と言う.止してくれよ,おばさん.この心臓じゃ,カルチャ-の方がショックを受けて逃げ出してしまうさ.

カタコンベの入場券

モーツァルト
 モーツァルト没後 200年のせいか,格調高い国際会議や記念公演ばかりでなく,モーツァルト・グッズがウィーンの街のあちこちで目につく.平仮名で「おみやげ」等と書いてあるところを見ると,日本人観光客もいいお客さんなんだろう.もっとも,モーツァルトの時代の特徴の1つは芝居とオペラが王候貴族の楽しみから大衆化したことであるからその主旨に沿った商売かもしれない.
 レオポルト・モーツァルトとマリーア・アンナの第7子として生まれたモーツァルトは,先に生まれた3人の男の子が皆早死にしたとあって,父親の入れ込みかたは相当のものだったろう.その父が考えた最高の教育法は旅だったという.筆者には専門外なのでそれだけの知識は無いが,モーツァルトは旅行を重ねる毎に作品にも変化がみられると言われれている.とすると,もしモーツァルトがもっと長生きをして世界各地を旅していたら,我々が現在抱くモーツァルトの音はバッハの音にはならないにしても,ベートーヴェンの音,ずっと下ってワーグナーの音に変化していったのだろうか?

シュテファン大聖堂の近くにあったモーツァルトのプレート

バッハ
 今でもH大の大学・大学院を通してお世話になったK先生から「君はいまだバロックを聴きしや」という定番の年賀状をいただく.学生の特徴をつかむことが上手だったせいか「君は試験の最中にバッハのフーガが飛び出してくるほど凝っていて(成績が悪かった)」と刷り込まれているらしい.こわい先生だったが,学生に対する愛情は今の私に多くのことを教えてくれる.
 バロック・テクノロジーなる言葉は英国の平和運動家のメアリ・カルドア女史の言葉だが,虚飾に凝った技術に興味を示さないのはこの国の道路研究者にも共通しているように感じる.無駄な装備が試験機に付いているとギミックと言って見向きをしない.いいのか悪いのか…ってギミック(gimmick)だよ,そんなのは.

ワーグナー
 昨日の「バラの騎士」に続いて,今日は日本でもお馴染みのホルスト・シュタイン指揮のオペラ「さまよえるオランダ人」だ.日本人の観客が多くなったのだろう,ここで求めたプログラムの94ページと95ページに,「さまよえるオランダ人」の全3幕のあらすじが日本語で書いてあった.
 ホテルへ戻る途中,興奮していたせいか発掘調査中のローマ道路の遺跡にころげ落ちてしまった.そして,いつのまにか,周りの人が怖がって道を開けるほど,大手をふってメロデーを口ずさみながら大股で通りを歩いていた.ごめんなさい,大好きなウィーンのみなさん.おわかりですね,『ワーグナーの毒気』にあたった皆さん.まぁ、歌舞伎座の前で芝居がはねた後、立ち止まって見得を切っている御仁と変わらないのである。

市内で発掘されたローマ道路
市内で発掘されたローマ道路

毒 気
 権威の嫌いなはずのマス・メディアが,「…の分野における世界的権威者」という言葉をよくお使いになる.オリジナリティのある優れた仕事が権威者に支持されるとか,同調者が多いといったことはたいして問題ではなく,そのものの中身が重要だと思うのだが….独創性は体制に毒を放ち,小数派であるのは宿命だと思うが,ただ,アイディアに対して新鮮な驚きを隠さず,また,創造性を重視した友好的な批判をなさるすごい権威者もおりますよね.このような一流の人物には,私的な利益の追及を離れ,俗に言う権威を超越した価値観やよい趣味や嗜好といったものを感じ…末席にでも座らせていただいて,飲りたいですね.

ビール飲っていますよ
 ウィーンの名門ビール・ゲッサーでワイワイやっていると,隣国ということもあってユーゴスラビアの社会情勢に話がおよぶ.そして,さすがはウィーンの粋人達,ユーゴスラビアの貴族出身でイタリアン・ファッションを代表するミラ・ショーン女史の美学に話をもっていくことも忘れない.タバコの臭いが嫌いで離れていたのだが,彼女が日本向けのタバコのパケジをデザインしたことを教えられてびっくりした.ヴェネチア・グラスのような透明感のあるラウンドボックスだという.ついでに,そのイタリアのヴェネチア生まれのピエール・カルダンがパリで世界的名声を得たのは,材料の新鮮な扱いと機能を融合させた様式美であるという.ウィーンっ子がここまで言うということは,どうも近代建築の礎となったオーストリアの建築家オットー・ワーグナーを強調したいらしい.確かに「世紀末芸術」アール・ヌーボー風の旧カールスプラッツ駅舎はやわらかな曲線に特徴がある.それよりもなによりも実は私も郵便貯金局や市営鉄道の鉄道駅,トンネル等,彼の作品の大のファンなんだ.したがって,異議なし.

ワインやっていますよ
 誇り高きオーストリア人わが友・エルマー博士の自宅はシェーブルン宮殿から車で10分位のウィーン郊外にある.このあたりのホイリゲはワイン・マニアを除いて一般の観光客にはあまり知られていないが,由緒あるワイナリーが多く地元のウィーンの人達がわいわいやる所だ.
 彼の家族とともに食事をすべく,彼のフィアットで自宅に向かう途中,ハプスブルグ家の夏の離宮シェーブルン宮殿の前を通る.懐かしい.マリア・テレジア・イエローの外観はウィーンのやわらかな秋の日差しに映え,その前のオットー・ワーグナー設計の例の美しい鉄道駅とともに観る者を飽きさせない.皇帝は馬が好きで鉄道には2度と乗らなかったこと等,ウィーンっ子でなければなかなか知らない話を聞かせてもらう.
 次に,フルシチョフを負かしたケネディ橋(と説明された)を通過し,そして,私も今回初めて知ったのだが,フランス庭園の中にある動物園の横を通過する.英国のザ・ズーとともにヨーロッパでもかなり古い動物園だそうだ.今はある意味ではどの国でも動物たちにとっては受難の世紀.ロンドンのそれは移転をめぐってかんかんがくがく.同じく,米国のセントラルパークにあるニューヨーク動物園が閉門の危機.ここで公園を根城にするホームレスが「動物をホームレスにするな」と署名運動をしているというが,…わかりますね.

ウィーン郊外のホィリゲ

動物園の若旦那・虎
 私の友人に熱狂的な阪神タイガースのファンがいる.「おいっ,西の若旦那,また,最下位か」「そうさ,北の若旦那,タイガースは君の好きな上方歌舞伎の世界そのものさ,伝統を重んずる美学さ」「?…」「肝心な時に負ける,頼りない…」「そうか,世話物の若旦那だ」.「そう…」と言葉に詰りながら真面目な顔になり,「我らのタイガースはあれでいんだ.幕府の保護を受けた能と違って,低級とされた歌舞伎と文楽ははいあがってきた」.口元をきりっとしめ涙をうかべた西の若旦那には近寄りがたい二枚目の品性と,どこか可笑しい三枚目の風貌を感じるのでした.

三枚目のキップ
 9月21日夜,ウィーン劇場のボックス席でミュージカル「FREUDIANA」を観た.国立オペラ座の「バラの騎士」,「さまよえるオランダ人」に続いて,三枚目のキップになるワグナーの楽劇「ローエングリン」の切符を1ヵ月前に友人に頼んだところ,オペラもいいが大ヒットの「FREUDIANA」を観ろということで,三人用のボックス席に座っているのである.日本人一人が入っていったせいか,初老の御夫婦は驚いた様子だったが,「どこでこのミュージカルの情報を入手した,オペラ座では見るが,ここで日本人に会うのは初めてだ」と流暢な英語で話しかけ,オレンジをくれる等,友好的な雰囲気だ.
 幕が開くと,最初に旅行客とガイドが現れ,きょろきょろ見て歩いたり,カメラのシャッターをきったりするシーンから始まるので旅行者である筆者には自分を見ているようでおかしくてしょうがない.やがて置き去りにされた主人公の若者が夢を見て物語が始まるのであるが,ナチスやロンドンのベーカー・ストリートの行先表示板を付けた地下鉄やシャーロック・ホームズが出てくる等,フロイトの著書「夢判断」がモチーフとなっているような作品だ.ご存知のように,精神分析学の創始者フロイトはナチスに追われてロンドン行くまでウィーンで活躍し,ここにはフロイト博物館があるのだ.名器dbxのアンプとオリベッテイのコンピュータを駆使した音響効果や仕掛けの大きさがすごい.何故か,「ビートルズの音が復活するのでは」と思った.
 うら声で女の声を出していたが,実は男という大ドンデンガエシを演じた男優はフィナーレ後のカーテンコールの時にすごい拍手をもらった.最後はカーテンコールが7回続いた後,オーケストラ・ボックスの音楽のサービスがあり,いっせいに拍手で終わり.これがウィーン風らしい.たまたま美術史博物館でお会いしたN大のD先生にも勧めた甲斐があった.

フィナーレ
 今日はウィーンを去る帰国の日だ.日曜日なので店も開いていないし,フライトのチェック・インまで数時間の余裕がある.最近,海に凝っているせいもあってホテルの近くに在るウィーン海洋博物館に朝早く行ってみることにした.水族館の様なものを想像して行ったのだが,1階の入口を入ったところに何故か蝶やクワガタ等の虫類が飾ってあり,その隣に鉱物類が飾ってある.「ここは本当に海洋博物館なんだろうな」と横に目を向けると「第19回ダイァモンド・グッピー」,「ハイコ・ブレハー物語」等の表紙タイトルがついた和雑誌・「フイッシュ・マガジン」No.284,1989 11 Novemberが他国の雑誌と一緒に飾ってある.うん,まちがいない,海洋博物館だ.納得して上に上がると,今度は淡水の爬虫類トカゲ,ヘビ等が多い.魚がいないのだ.日曜日のせいか,両親につれられた子供たちも多い.また,「本当に海洋博物館なんだろうな」と首をかしげていると,奥の方で子供たちの喚声が上がる.好奇心にまかせて覗いてみると,軽装の係員がトカゲにエサを与えているところだった.そうか,ちょうど食餌の時間だったのだ.体長1mほどのトカゲがユーモラスに係員の脚を登って餌の白ネズミをねだっている.拍手がわきあがる.圧巻は長さ5mはあろうトグロを巻いた巨大ヘビ.スゥーっと滑るように係員に近づき,真っ赤な舌を動かしながらじっと隙を伺っている.緊迫感のあまり,唾を飲み込む子供や顔をそむける子供もいる.いつのまにか握っていた私の手のひらも汗でびっしょりだ.また,スゥーっと足もとに近づいたかと思うと,間髪を入れず係員が右手にぶら下げていた白ネズミめがけてとびついた.一瞬,「きゃー」という子供たちの恐怖の声と係員が振り向いて体から手を(白ネズミ)を遠ざけたのはほとんど同時.一瞬,張りつめた沈黙があった後,闘牛士よりもあざやかで華麗な係員の身のこなしに全館に響きわたるような拍手,拍手,拍手.こりゃ,飼育というよりもエンターティンメントだ.
 興奮さめやらぬ思いで1階からまた1つ上がると,3階は一般的な群をなす魚類,4階は色々な魚類の水族館のようになっている.ここでもトカゲやワニに負けないエンターティナーがいたのだ.この魚のことをプレートにこう書いてありました.「DRUCKERFISH Balistapusundulatus Tropisches Meer」.黄色の地に灰色に近い青で複雑な迷路を描いたような膚の模様で,迷路遊びをしてじっと見ているとこちらの目がまわりそうだ.恐ろしいほどの出目である.それにしっぽのほうにアザがあり,唇を口紅のようにやはり灰色に近い青で染めている.まばたき1つしないでじっと私を見つめているので,「俺はその方の趣味は無いぜ」と無視してやったのに,今度はしなをつくりながらあの出目でウィンクしてくる.あまり一生懸命やるのでかわいそうになり,にこっとすると,下唇を突出してくる.日本男児を赤面させるほどかわいい奴でした.遊んだ,遊んだ.西駅の近くエスターハーツィ公園内にあるこのウィーン海洋博物館の日曜日の朝は,昨日のミュージカルや先日のオペラより確実に面白い.おすすめですよ.

ウィーン海洋博物館の給餌ショー