また,再び・フェスティバルのことなど

研究の話
 オーストラリアのシドニーから列車で約2時間の港町ウロンゴンで開催される複合材料の国際会議に出掛けた。多くの研究者が錯綜する形で研究開発にしのぎをけずる複合材料の世界は,産業育成あるいは事業密着型の研究は言うにおよばず,研究分野が多様であり,そしてこれこそが私が魅力を感じるのであるが先導的・基盤的な研究に重点を置いた重厚にして,かつ華のある研究分野である。付き合いかたによっては,狭い領域のそれと違って,対人,対技術に哲学が要求されるような気がしてならない。…と,導入部としては重すぎるかな。

方向音痴
 ナショナル・トラストになっている歴史的建造物・旧メルボルン監獄を訪ねた時の話。うろうろしていると,丁度,警察署が見つかったので場所を開いて出かけた。「ゴシック様式の随分立派な監獄だな」と感心しながら中に入って行くと,守衛さんに止められる。さも,ありなん,そこは簡易裁判所だったのだ。親切な人でとぼとぼと囚人のように歩く私の肩をつかみながらラッセル通りを十数メートル歩いて旧メルボルン監獄まで連れていき,扉まで開けてくれた。中に入って入獄料金?を支払うと,手際良く日本語で解説した一枚の紙を渡された。「へえ-,日本語だ」と驚きながら目を通すと,「本日は旧メルボルン監獄へようこそおこし下さいました」と書いてある。何か妙な気持ちである。内部は薄暗くて怖くなったので大急ぎで,義賊ネッド・ケリーの手製のヘルメット,農具の鋤きを利用した鎧とデスマスクや拷問,処刑器具等を観て廻った。
 さて,もらった解説書には歴史と概略,有名なネッド・ケリーの話,等が解説されていて,最後は「本日は旧メルボルン監獄にお立ち寄り項きましてありがとうございました」で終わる。また,何か妙な気持ちになる。あっ,そうそう,「売店にお立ち寄り下さい」とも書いてあった。冷静に考えてみると,私は警察署,裁判所,監獄とフル・コースを順番に来たわけで,シャバに出る出獄記念にお勧めのあった売店で美女から買った特製ビール(中身はジュースだった)を一本飲んで祝った。

City court(簡易裁判所)

美 女
 シドニー水族館で観た自分の足元や頭の上をタイガー・シャークやグレーナース・シャークが泳ぎ回るド迫力に興奮していたせいか,ダーリング・ハーバー界隈にある日本の大手航空会社系列のホテル・Nの前で色っぽい人に誘惑されてしまった。本当に正真正銘,色っぽかった。ペンキ屋さんだ。我が家の外回りはアルミではなく,全て鉄にしたほどペンキ塗りが大好きで,早速,ボランティアを申し出た。最初は怪訝な顔をしていたが,そうであろう,一流ホテルの街路に面している部分それも仕上げの段階だ。とうとう熱意?に負けて,そして最後は腕?に負けて仕上げをやらせてくれた。夏の解放感も手伝って,美女の話もしてくれた。米国主催のミス・ユニバース,英国主催のミス・ワールドよりも日本主催のミス・インターナショナルが美人だと言う。「こいつ,日本びいきか,いいぞ,いいぞ」。でもよく聞いてみると,昨年,御当地出身のカーステイン・デービソン嫌が32年の歴史の中で初めて優勝したのを自慢しているのだ。彼女は英国ケンブリッジ,スイスのローザンヌに留学後,シドニー大学に在学中の19才だという。最後に,シドニーっ子自慢のボンタイ・ピーチやマンリー・ビーチの話をたっぷりと開かされ,記念に親方がカメラをもって,若い方とパチリ。未だにレンズ部分についたベージュ色のペンキは消えていない。これ,本当の話。

日本の大手航空会社系列のホテル・Nのペンキ塗りをしていた職人

マンリー・ビーチ
 世界三大美港の一つと言われるシドニー湾ノース・ヘッド部分マンリー・ビーチにサーキュラー・キーからフェリーで出かけた。この暑いのに映画で観る刑事コロンボが着ているようなよれよれのコートを着て安葉巻をくゆらしながら男が近づいてくる。用心はしたが,教育のある英語を使うので付き合ってやった。とにかく,葉巻の事は私に聞きなさい。キューバを訪れて以来,ちょっとはうるさいのだ。ところが,彼と話しているうちに葉巻の事はもちろん,博識なのには驚いた。葉巻を指差しながら「ここでは,飲むお茶も,食事も,そしてこれも」と葉巻を指差しながら「ティと言うんだ」。後で知ったのだが,これというのはマリワナのことだった。「昨年は,コロンブスの大航海の年から五百年であったが,コロンブスとはラテン語の呼び名であって,本当は,イタリア人だったのだからコロンボと呼びたい」という。なるほど,このよれよれコート男,なんとなく,刑事コロンボではなくジャン・ギャパンに見えてきたから不思議だ。かつてはニコチン中毒だったというミスター・コールド・ターキー・ギャバン殿の話だと,米国のマスコミからタバコのPRが消えてちょうど20年の昨年,タバコ消費税を上げて得た増収で禁煙番組を作っているらしい。ちょっと待てよ,そうすると喫煙者の税金が嫌煙運動のスポンサーになっていることになるな。いずれにしても,タバコの臭いが嫌いで歓楽街通いをやめた小生を煙にまくような話だった。

ハーバー・ブリッジ
夜のハーバー・ブリッジ
マンリー・ビーチ

禁煙マーク
 デンマークの建築家ヨルン・ウッツオンがヨットの白い帆をデザインしたという巨大な屋根を持つオペラハウスは,旅行者にこれだけカメラを向けられては,ハーバー・ブリッジとともにのフイルム業者から表彰されても良いであろう。昼の人出はすごい。夜の好きな私めは,入口の壁に“禁煙”マークの貼り紙を見つけて嬉嬉とし,昼間ペンキ塗りで逃した昼食を兼ねて「カフェ・モーツァルト」で腹ごしらえをしようとメニューを見ると懐かしやビター,英国でさんざん楽しんだ,あのビターがある。注文すると,「ポット?」と開いてくる。いや,いかに冷やさないビターといってもポットで温めては困る。やりとりがあってポットとは大ジョッキであることを知った。
 さて,いざ出陣。「No subtitle view」の席だが,「ラ・ボェーム」は知り抜いた出し物で,大丈夫だ。でも,いかに「ラ・ボェーム」とはいえ,とにかく,簡素な舞台美術,演出だ。歌舞伎と同じで,黒子の男達が舞台にあがったまま舞台中舞台を動かしたり,第2幕が終わっても幕を下ろさずそのまま片づけている。そして次の舞台のセッティングを客の目の前で仕上げて行く。これがシドニー流のようだ。若者の役を油ののりきらない若い歌い手が演じるのもオペラには珍しい。簡素なる故だろうが,私めは正装している地元の人に混じって半袖姿で,ミミの運命に泣いた,泣いた。ハンカチを忘れてしまい,半袖がびしょびしょだ。

オペラハウスとシドニー入江

半袖で話し合った
 会議の会場で知り合った米国のT教授は私のフェライト・テクノロジーにいたく興味を示し,私やその仲間のR&D(開発研究)の手法や日本的マンマン・インターフェイスの仕方,研究環境,教育について質問してくる。私は日本の教育について巨細に語るほど尊大な人間ではないつもりだし,「八百万の神」の存在を認める多様な日本には色々な考え方があり,一つの価値観や原理で「日本の教育は」等と述べることは,どうも…。ただ,「私の考え方だが」とことわりをいれて,持論は述べた。「斬り口を変えて忍耐強く挑発を続けることによって相手が,生徒が,学生が自分で悩むようにさせる。柔らかいクッションで刺激をダンプしているのでは「創造性を大事にした教育」といっても無理ではないか」と。彼もいろんなことを教えてくれた。米国の大学で通常7年目ごとに教授に与える研究のための有給休暇sabbatical leaveの由来が,古代ユダヤ人が7年目ごとに休耕した安息年であるsabbatical yearにあることを初めて知った。たいした収穫だった。それに,Publish or Perishといって,学者の世界では論文を発表しないでサボっていると地位があぶなくなるということも開いて楽しく?なった。
 さて,このT教授は踵からつま先まで全面に銀面を張ったいい靴を履いている。この子牛の革のしなやかさは,永く靴を履くほどに足に合ってくる。私はといえば,真夏のオーストラリアに極寒の北海道から出かけてきたため,すごい靴を履いている。おまけに,手には風呂敷だ。私は旅行の時はいつも風呂敷をもって出る。こんな便利なものは無い。結ぶという日本文化の粋とでも言おうか,単純にして多用途。この教授は珍しそうに風呂敷を指さして,その名前の根拠を質問してくる。Bathのことを日本語でFuroと知っているらしく,余計Furo-Shikiが気になるらしい。あやふやな知識を呼び起こしながら,下手な英語で「昔の風呂は北欧のサウナ風呂のように蒸した部屋であった。そこで,風呂敷を下に敷いて体を護った」と言う説を紹介したが,本当でしょうか?自信が無いのですが。

自信をも持とう日本人
 日本でも「生命の値段が高い」とか,「環境にやさしい」とか,「時間とゆとり」等といったキーワードが新聞紙上を賑しているが,これは社会が成熟に向かっているのであろう。このような成熟社会においては生存条件が生産条件を囲い込んでしまう。生産第一主義から安全,クリーン,尊厳,美,幸福などと,技術の依って立つ足場を生存条件へとシフトさせる必要がある。大丈夫。日本人も国家とか世界を等身大でみる能力が飛躍的に成長したと思う。研究手法ですら外国でやっているとか,どこかで開発された試験機を使ってケース・スタディをやっているのを見てお人好しだと思うようになった。ジャーナリストとしてのスタンスができていないのだろう,安っぽい勧善懲悪主義でマニュアルどおりに,それも間違いながらニュースを読む正義(・・)の(・)人々(・・)を見て苦笑するようになった。つまり,少なくても心ある人々は,口舌の徒の臭いを嗅ぎ分ける能力が発達し,俗にいうハッタリとか,ひとまね技術とか,品性のない言動を敏感に察知し,本質的に相手にしなくなってきたのである。…と,こいつをオージー英語で表現するとしたなら大変だろうなぁ。

オージー・イングリッシュ・誌上特別レッスン
 全てのスケジュールをこなしてシドニーに向かうべく,ウロンゴンの駅から列車に乗った。乗客は1人のマレーシア系オーストラリア人と私の2人だけで,彼は2つ目の駅で降りるという。乗ってから40分位経っただろうか。列車が止って「あれ変だな」と思っていたら何と列車が反対の方向に動いている。ええっ?ダブル・デッキの2階から下に降りていくと「ウェアユ・ゴイン?」。びっくりしながら「シドニー・セントラル」。「ア,イェッ」。何が「ア,イェッ」か分らないが,持ち物を持って来いと言っているみたいだ。急いで上着やらカバンをもっていくと,路線の上に係員が立っていて,バッグをとってくれる。1.8m位の高さがあるだろうか,ステップを利用して降りながら「ウォッッ・ハツプン?」,「サーレイメネッ・ワイト」と言われる。「30メネッ?」,「ノー,サーレイメネッ・ワイト」。13分待てと言っているらしい。「エニイ・トラブル?」「ゴオン・ゾス・ロイン,アインド・ゲロン・ゾスロイン・トライン,ダント・ミスタイク」。「エニイ・トラブル?」と再度開いた所「ゾス・トライン・ゴロ・ウロンゴ,ナ・シドニ・スタイシャン」。「ノット・シドニー?」「オンリイ・サーレイメネッツ・ハリ!ネクス・トライン」。わかった,こっちの路線に来る次の列車に乗れと言っているのだ。今乗ってきた列車はピストン運転なのだ。こういう場合,私はほとんどあわてない。何かユーモア精神がいつも病的に湧いてくるのだ。「クドゥユ・テイクァ・マイ・ピクチャ・プリーズ?」「アイト・メネッ」。もう8分で次の列車が来るのに線路の上でを撮れなんて,お前は馬鹿か?というような顔をしたが,取り出したカメラを見て「ヴェリイ・グッ・カィメラ・マイト(mate)」。パチリ。「サンクス・ロッツ,いや違ったオージー語でタァ」。
 これだから旅はやめられない。ヴエリイ・エキサイティング。すっかりうちとけたこの男「ゾス・ロイン・マイト,キャッチャ・ライタ(Catch ya later)」と念を押してカメラを返してくれる。トボトボと砕石の上を駅に向かって歩き,振り向くとⅤサインを出して「リッパ」。立派と言われたって,あっ,そうかripperはgoodの意味だった。今度は運転席から出てきた運転手がウィンクをしながら「ハリ・マイト」。急いだ,急いだ。途中,歩いてきた路線ともう一本の線路が一緒になっていて,「本当にこの線路に来るんだろうな」と思いつつ,着いた駅の名前が“Coal Cliff”崖っぷちだった。落ち着こうと座ってはいけない,ホームのベンチはペンキ塗りたての注意書き。そして,貼り紙でこの先の線路が工事中と,…,納得した。と思う間もなく一分位で今度は逆方向から列車が来る。私はすっかりこんがらがっているので,「あれ?我が友はこっちではなく,こっちのプラットホームと言ったのだろうか」。降りてきた人に「フォア・ウロンゴン,ノット・フォア・シドニー・セントラル?」「イエス・ウロンゴン・スタイシャン」。「じゃ,我が友に教えられた通りでいいんだ」と納得していたら来た,来た。「フォア・シドニー・セントラル?」「イエス・シドニ・スタイシャン」。あーあ,楽しかった。「バイ・マイト」

向こうから列車が近づいてくる
Coal Cliff駅(崖っぷち駅?)