また、より道しちゃった

異質を取込んで生まれる新しさ
 「どこの国でもよい、その国の中で一ケ所、地域でもよし町でもよし、君が行きたい所を選びなさい」と言われて、もっとも返答に困る国のひとつはイタリアであろう。いわゆる名所・旧跡は古代ローマに遡るほど歴史の跡を残しているし、衣・食・住、芸術、男と女、…と、確かに行きたい国だ。今日は、ここのシチリア島から始めましょう。
 まずは、数年前に他誌のフォトエッセイに書いた文章をご勘弁願ってほんの一部を再掲させていただこう。「地理上の位置故か、シチリアはギリシャ人、フェニキア人、古代ローマ人、アラブ人、ノルマン人、ドイツ人、フランス人、スペイン人と実に色々な民族によって支配を受けてきた。…地中海文明の十字路・シチリア…」。そう、ここシチリアはその激動の歴史が語るように、時には反目し、時には受容を繰返しながら、多様な色彩をもつ文化や人が刺激しあって新しい文化や文明を生み出してきたわけだ。つまり、単一性の中における協調性ではなく、異質同士を認め合う社交性を持って生き延びてきたわけだ。その位置、その重要性から「地中海のへソ・シチリア」とも言われる所以だ。まずは腹ごしらえをしてから出かけよう。

食事は
 「ここはワィンの宝庫・シチリア」ということでいきなりワインといきましょう。ブドウの原産地は古代オリエントと言われ、その酒を本格的に造り出したのは、紀元前3,000年頃のシュメール人らしい。シュメール文字と言われる楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ)で有名なあのシュメールである。社会資本整備の歴史に詳しい方には余計なことですが、今から5,000年も前に既に牛を荷物運搬に使い、ロバを移動用動物として使って灌漑農業を行っていた人達である。
 これこれ、ジョッキ片手に拙文を読み飛ばしていらっしゃる方、シュメールの繁栄の基盤が麦だったこともあってビールの発明も彼等だったらしいですぞ、彼らに祝福を。
 ワイン造りの技術はエジプト、ギリシャへと伝えられ、そして紀元前2,000年頃にフェニキア人がシチリアに伝えたらしい。現在、イタリアのワイン生産量は世界の総生産量のほぼ20%を占めて、フランスとシェアのトップを争っているのだから、現在のイタリア人が享受するこの恩恵は計り知れない。
 次はスープ、そうここイタリアではオリーブオイルをたっぷり使ったトマトソースのパスタである。もっとも北に行くほどバター味が濃くなるが…。スパゲッティもまたエジプトで生まれてシチリア島に伝わったのだ。時間がないのでデザートに進みましょう、アイスクリームです。氷とクリームなのでice creamなんでしょうが、色気のない表現ですね、このジェラートもシチリアのパレルモで、そうここが大事なのですが、ゲーテをして「世界一美しいイスラムの都市」と言わしめたこのパレルモで18世紀に作られたそうだ。世界的に著名なハバナのアイスクリームのチェーン店「コッペリア」で味わった牛乳の香と強烈な甘みを想起させる味である。「極めたもの」というものは、民族、空間、伝統を問わずにその根底に共通する特徴を持つようだ。
 どうでしょう、拙いガイドでしたが、何を禁じるか、何を否定するか、何を排除するかではなく、文明の十字路に生きた人々の生命力、躍動感、寛容と許容度、創造性、商品開発力?等々、新しい手法開発に参考になりましたでしょうか。

映画『ゴッドファーザー・パート3』の舞台となったシシリー島パレルモのマッシモ劇場
映画ではこの会談で悲劇が…。
古代ギリシャ時代の神殿が数多く残っている アグリジェントのエルコレ(ヘラクレス)神殿
エルコレ神殿から見たオリンピコ神殿側

ネオ・クラブ
 昨日の夜もクラブに行って来たよ」、「年寄りばっかりで…」、そうか最近は高齢化時代を反映して年増のホステスが多いのかと思いきや、「ゲートボールでは体をもてあます、パークゴルフが面白い」、「えっ?」、「今日は市長も挨拶に来ていたな、選挙が近いからな」、市長さんがクラブ通い?今時珍しい古典的香りを残した町だなと思ったのだが、勘違いだった。接客をするクラブではなく老人クラブのことだった。
 ナポリの国立カポディモンテ美術館を訪ねた時に模写をしていた日本人留学生から聞いた話だが、イタリアでは女性が男性客にサービスをする飲み屋の数はとても少なく、飲み屋で働く女性を一種のあの種のサービスをする女性だと考えるそうだ。それに、国民性もあってワイワイ・ガヤガヤと仲間で飲むことが多いし、女も男も連れ立って客として楽しむそうだ。話題となっている模範囚の扱いといい、男と女の関係といい、学ぶことが多い人々である。
 この国立カポディモンテ(Carpodimonte)美術館は、とても見所が多く、カラヴァッジョ、ティツィアーなどが展示されています。Monteの名前通り、丘の上にありますが、国立考古学博物館前から178番のバスに乗車、ミァーノ通りまで30分くらいです。お勧めです。
 イタリアのどの町でも経験することであるが、侵入する敵や海からの風を防ぐために細くそして迷路のような多肢構造の曲がりくねった坂道が多い。道路のご専門の皆さんには余計なことですが、アラブの道作りですね。ここの人々は、道のネットワークのように複雑かつ多様で、さらに合理的な生き方を身に着けた先進の人達なんですね、そしてそれが私達にも要求される時代なんですね。

ナポリの カポディモンテ 公園内にある国立カポディモンテ美術館

先進性と歴史
 1927年、北イタリアの古都・ブレシアで「フランコ・マツオッティ杯レース」として始まった「ミッレミリア(Mille Miglia)」は、その舞台を提供する道路の栄光の時である。当初は1,000マイル(Mille Miglia)の一般公道をスポーツカーが競争するスピードレースだったが、1957年の悲劇的事故によって中止を余儀なくされてしまった。しかし、ここから復活するのがイタリアなのである。歴史の重みなのである。1977年にスピードレースから現在の5日間をかけてのスタンプラリーに改め、世界一優雅なクラシックカーの祭典としてよみがえらせたのである。
 よく言われるように、「ミッレミリアは、節目の年がラッキーセブン」なので、これにあやかったのか、我が国の「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」が始まったのは1997年である。第8回目になる2004年は10月3日~6日の4日間にわたって原宿と横浜の元町間のルートで開催されることが決定しているが、我が国で初めて国際クラシックカー連盟から国際ラリーに認定されたこの公道を使うレースはカーマニアだけではなく、多くの道路関係者にとっても無関心ではいられない祭りであり、関係者の頑張りどこだと思うのだが…。
 貴重な税金を使ってつくった道です。どんどん使ってもらう知恵を出しあいましょう。対象は車だけに限らない。「エコサイクル・シティ構想」よし、「自転車専用道路」よしである。そしてさらに戦略的に、供用中の公道を「文化を演出する舞台」として提供しましょう。
 ご存知のように、「ツール・ド・フランス」や「ジロ・デ・イタリア」などはサッカーに次ぐ人気を誇り、もう、国民に根付いた文化といってよいであろう。我が国でも「ツール・ド・北海道」や「ツール・ド・沖縄」がロードレースファンを育て、また、森林公園周回コースなどが人気を博している。道路は「文化的生活への道しるベ」であり、「文化を演出する舞台」を提供する裏方であることを多くの人に知ってもらうことがその復権のために大事だと考えるのですが。

どこへ向かう道路
 戦後、その交通機能・空間機能・情報機能の確保等、社会資本整備の中心的役割を果たしてきた我が国の道路が、国外・国内を問わずに激変する社会・経済環境、国民ニーズの高度化・多様化などで右往左往して交通渋滞を引き起こしている。深読みは避けなければならないが、このままでは低位平準化どころか、どん底に向けて競争するいわゆるレース・トゥ・ザ・ボトムへとまっしぐらであろう。
 長期にわたる経済の低迷、失業率の増加を反映して学生の就職は厳しさが続いている。しかし、企業の経費節減を反映して単価の安い彼らのアルバイトは忙しい。携帯電話の相手はアルバイト先の上司で、学生は文字通りオン・コール・ワーカーとして労務提供をしているわけだ。このような労働環境では、若者にとって魅力ある職業分野にはなるのは難しく、結果として業界の地盤沈下は避けられないであろう。その上で、17年前に書いた私の文章の一部を掲載させてください。
 「近年、土木を取り巻く国際環境の激変、技術革新や工事量の停滞、若者の土木離れ等に対処すべく、…(中略)、国民生活のニーズや文化に寄与する形での「創造する技術革新」を…。これは、見方を変えるならば、より魅力ある土木を目指して取られた戦略とも言うべき挑戦であり、テクノロジー・ルネッサンスヘのサイが投げられたと言えよう」(土木学会誌および同論文集・1987年)。力いっぱいといった感じですねぇ。もうちょっとお付き合いください。「…磁気標識システムによる視覚障害者の誘導技術、振動吸収材料、人工魚礁、免震用積層ゴム、電波吸収体等の研究・開発であり、多くの分野の人々と協力しながら省資源、福祉、環境、ライフラインの確保等の『未来型テーマ』を先取りして取組んできた…」。
 「未来型テーマ」が「今日的テーマ」になったなどと書くつもりはありません。ここはひとつ、道路(技術)族?が弥縫策(びほうさく)ではなく、イタリア風に多様かつ高い許容度を持って道路の未来について考えてみませんか?最近、日本でも良く使われる「ゼロ・サム」は、生活の知恵をたっぷりと身に付けたここの人々には何か物足りなく、互いにプラスになる解決をするポジティブ・サム(正の和)を嗜好すると言った方がすっきりする…、大人というか成熟しているんですね、イタリア人は。

プラス思考
 ナポリの王宮で開催された国際会議のバンケットで同席したいかつい男と優男の話である。右側のいかついさんが「バイキングの末裔」と自慢するので、以前から気になっていた「元祖・バイキング料理」についてご高説を賜ろうとしたところ、どうも話が合わない。私の英語が未熟なせいと考えて言葉を重ねたが、首を傾けるばかりだ。何のことはない、特別な料理を意味するものではなかったのだ。あれは和製ネーミングであって、やはり「ブッフェ・スタイル」で良かったのである。
 そして女性の視線を集めている「詩が好きな」どこぞの国の優男の話である。左に座っている往年の名女優ソフィア・ローレンのようなセクシーな女性を英語で口説いている。この色男、よくもおめおめと、「あなたとは必然の恋。ほかは偶然の恋」とのたまえるものだ。学生時代に流行ったこともあって相当に読み込んだので覚えているが、彼はジャンポール・サルトルの言葉を引用しているのだ。このジゴロめ。しかし、いい度胸をしている。こういうのもプラス思考と言うのかなあ。

贅沢にもここナポリの王宮の二階で国際会議のコーヒー・ブレィク
ナポリの歩行者専用のプレビシート広場にあるサン・フランチェスコ・パオラ教会
12世紀の古城、ナポリの卵城
卵城から写したヴェスヴィオ火山とサンタ・ルーチア港

開けっぴろげにできない場所
 「ローマで日本人に必ず会える場所」であるここローマ・ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿は、かく言う私もローマを訪ねた時には必ず訪れる場所である。目的は皆さんと同じシスティーナ礼拝堂であり、絵画館である。本日は、趣向を変えて「絵画館のストック・メンテナンスにおける日本の技術的寄与」と題して学術的に論じたい?「世界一多く集まる観光客から発散・蓄積されるいわゆる内部負荷から全世界の共有財産とも言えるラファエロの『マリアの戴冠』をはじめとする世界的遺産を保存するために、ここのエア・コンディショニングの最適化は最重要テーマであり、…日本国のM電気株式会社製の9台のロスナイ…」。凄いですね、このような環境保全への寄与が我が国独自の技術開発の賜物とは。やればできるのです。

できてもしない
 行政事務の効率化と住民の私生活の平穏(プライヴァシー)の問題はどこの国でもややこしく、我が国でも「住基ネット」についての議論が起こった。私自身も、訪れるお客さんが名刺を出してくるので敢えて逆らわないが、西洋では相手に「心を許した」ということのひとつの表現なので、自宅の住所の入った名刺はあまり見たことがないし、余程のことがない限り渡さない。
 日本人と米国人の名刺交換好きは有名だが、某国で行われた会議で名刺を要求されたのでしぶしぶお渡ししたのだが、「お前のHPアドレスは?」と聞いてくる。ホームページ・アドレスを刷り込んでいない人のことを「ホームレス」と言うそうだが、こういうジョークに付き合うほど暇ではないのだがなあ。「隅っこで袖の下」を推奨するつもりはないが、こうも開けっぴろげだと、この人は俺との秘密も他で話すわけだ、それも誇張して。暇な金棒曳きは怖い、怖い。

袖の下は女性が元祖?
 チップはイタリア語でマンチャ(mancia)というが、元々はフランス語で「服のたもと」の意味だ。昔の女性はこのたもとに小金を貯めておいたそうだ。となれば、日本の時代劇に出てくる「袖の下」ではないか。
 イタリアでは基本的にチップのしきたりは無いが、ガイジン?には妙に簡単にお金を出してしまう日本人は、他国の旅行者には有難くない存在だ。ところで、賄賂のことを英語で「テーブルの下(のお金)」というのは、洋服の袖がタイトなせいであろうか。

アンダーグラウンド・マネー
 イタリアの某州・某村では世界のスキー靴の5割以上を生産していたことがあるという。ただし、この村の税務管轄をする税務署に「スキー靴製造会社」の登録は一軒も無かったそうだ。「経済活力とはこういう-面も持つ」と言ったら「不謹慎だぞ、余計なことを言うな」と叱られるだろうか。
 現在、我が国の行先が見えなく、そして宿命的に時代に合わせて生きていかなければならない一面を持つ建設業界にあっては、好むと好まざるとにかかわらず、ギリシャ神話になぞらえて名づけられた「プロメテウス人間」になって、変幻自在に対応して生きていかなければならない。だからと言って、ごもっともばかり申す家産官僚や江戸中後期に露出した陰険な忠誠心では組織を腐敗させてしまう。自己奉仕バイアスとでも言うのだろうか、自分自身に都合の良い情報のみを取り入れて組織全体のリスク管理を怠った結果、反社会的行為を暴露されてTVの前で頭を下げる組織のトップの姿は業種や分野を問わず枚挙に暇が無く、ただ馬齢を重ねてきた私のような者の目から見ても不愉快極まりない。若かりし頃にお世話になった、今は泉下にいらっしゃるトップの方々の心意気は、今いずこに。

心意気
 ナポリ中央駅近くのホテルに泊まって、すぐ側のガリバルディ広場左手の市場をぶらぶらしていた時の話である。威勢のいい若い男が生きた貝をかざしながらお客のおばさんたちに声をかけている。浜育ちのせいか、市場のぶらぶら歩きが趣味であり、魚介類を見るとじっとしていられない。このイケメン・イタリア男、持っていた貝を私に渡そうとするので「いくらだ」と聞いたところ、「情けないことを言うな」といった顔つきで、むき身を…。うまかったねえ。こういうのを心意気っていうんだねえ。
 盛り上がったところに水を差すようで恐縮ですが、最後に心意気では解決できない問題をひとつ。カトリックの国では基本的に離婚が禁止されているが、イタリアの空気を吸うと衝動的に、しかもいつも浮かんでくる言葉がある。学会誌クラスの技術論文の査読であるならば表現・文意ともに曖昧であるとして「掲載不可」と判断される文章ですが、最後に紹介させてください。「楽しいことは結婚、よく考えてみて離婚」。

カプリ島の皮革屋さん。ベルトを買いました
カプリ島から出かけた青の洞窟の内部