将来世代と共有できる社会資本整備の促進を

私権と公権
 サッカーワールドカップの真っ最中、試合の熱気とともに番外編ともいうべき話題も報道され、中でも、カメルーン・チームの滞在地となった大分県中津江村を知らない人はほとんどいないであろう。しかし、村の東側を熊本県境と接して流れる筑紫次郎こと筑後川に建設された下筌(しもうけ)ダムをめぐって1960年から10年間にわたる激しいダム反対闘争、いわゆる「蜂の巣城闘争」が繰り広げられたことを知る人は少なくなった。対岸の小国町に住むリーダーの室原知幸氏は、「私権と公権」をめぐる75件の裁判闘争で敗れたが、氏が残した「公共事業というものは、利にかない、法にかない、情にかなわなければならない」という言葉は、社会資本整備の本質について深く考えさせられるものである。賛否は別として、氏の行動が後に環境保全や緊急を要しない公共事業批判の原型となっている事実は、建設業にかかわる者は謙虚に受け止めなくてはなるまい。

建設業をめぐる現在の環境
 我が国を巡る社会経済情勢は、国際的にはメガ・コンペティション、地球規模での環境・食糧・エネルギー問題、国内的には少子・高齢化に伴う生産年齢人口の減少、経済活力の縮小、国際化への対応、高度情報化の進展、国民の意識・価値観の多様化等、大きな変革期にある。また、最近の建設業界における不祥事間題をはじめとして、公共投資の使われ方に至るまで国民の信用を失いつつある。
 建設業は、安全で豊かな国民生活の実現や活力ある経済発展に寄与する社会資本整備の中心的な役割を担って社会に貢献してきたのであるが、社会資本整備の歴史的・社会的意義に対する客観的理解を必ずしも十分得るに至らなかったことや、社会の要請にこたえていないとの批判を受けていることも事実である。
 具体的に、道路整備に目を向けてみよう。有料道路制度と道路特定財源制度は、わが国の道路資本ストック形成に大きく寄与してきたが、道路4公団の民営化、自動車重量税の一般財源化、道路不要論が話題になり、時には事実認識に誤解さえ決して少なくないのは残念である。ドア・ツー・ドアのサービスは道路以外の手段では不可能であり、道路は社会生活に不可欠な貴重な社会資本であることから、道路政策論議は長期的視野にたった、広範かつ身近なレベルで議論されなければ社会的評価にはなり得ないであろう。現在、進行している議論は、すべからく道路への投資の経済効率のみで展開されているが、まさに国民の文化的生活に直結する福祉、環境、生命の安全、危機管理、国土の将来といった観点から議論する必要がある。

足元を見つめての議論の展開を
 いくつか例を挙げて論じよう。
 日本には無医村が約1400箇所もあると言われているが、そのうち北海道においては無医地区は121地区(52市町村)と多く、また、学校の統廃合による過疎地域における遠距離通学児童の比率の上昇、市町村合併による生活関連施設の広域化等を考えると、交通量のみで道路の必要性を断じることは余りにも一元的な発想といえる。
 高齢者、障害者、車椅子利用者等の交通弱者のためのバリアフリー化等、最低限の自立生活をするための周辺の交通環境整備や、さらに、介護サービスの広域的効率性を向上するためにも道路整備が必要であろう。
 筆者らが開発した「視覚障害者の磁気誘導システム」が多くの授産施設で使われ、ITS歩道を支える技術として活用されている。これらの高度道路交通システムが組み込まれたような道路や多くのライフラインを収容する空間としての道路は情報空間そのものである。視点を変えれば、情報化時代にあって、道路側もまさに未来型産業の基盤を創造していく体制を官民上げて作る必要がある。
 このように、社会資本としての道路整備は時代の変化に応じて戦略的に進めていくことが重要であり、そのためにこれからは単年度予算ではなく、英国のように3年度予算のような制度にして計画的に執行できるようにすることが効率的であり、結果的に使用者の便益や経費節減につながることになるであろう。

社会資本は将来の世代との共有財産
 紀元前312年建設のローマのアッピア街道や紀元前18年完成という南フランスのニーム近郊の三段アーチ橋ポン・デュ・ガール等はいまだ現役で働き続けている。パリのセーヌ河岸一帯も橋や道路を含めて世界遺産に登録されており、社会資本整備のあり方の身近な教科書となるであろう。また、1979年、アイアンブリッジ竣工200年記念行事が、英国のロイヤル・アカデミー・オブ・アートで開催されるのを目にして、社会資本およびそれに携わる技術者の社会的評価がきわめて高いことを実感した記憶がある。
 これらの先人の創造したヘリテージを見るにつけ、時代の要請に対応しながら持続的に活用される社会資本の整備を進めていくことが、将来世代に対する我々現代の技術者の責務であると考える。